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おかえり、あたし

「写真が趣味って、正直わからなくて。」

ランチを食べながら、彼女が、何かを思い出したようにぽつりと話しだした。

自分のミーハーな性格のせいなのか、身につけた生きる術なのか、すぐにその土地のイントネーションに寄せたり、雰囲気に寄せる癖があるわたしにとって、ここのところの環境の変化はさすがに触れ幅が大きすぎていた。

「うーん、カメラ自体が好きな人もいれば、撮ることが好きな人もいますから」

「正直、スマホでも良くないですか?」

正直、良いです。何の反論もない。むしろ何十万も投資して買い揃えたレンズより下手すればいい写真が撮れるときもある。初期の頃はカメラ性能なんて二の次だと言っていたAppleでさえ、競合他社の勢力に危機感を感じて三つ目レンズをつけてなんとか戦おうとしているくらいには写真や動画を撮ることが当たり前になっている時代だ。小さいし、軽いし、手ぶれ補正もついてるし、勝手に理想の色にしてくれたりあらゆるテクノロジーでいい感じにエモい写真を自動で現像してくれる。それらしい雰囲気にしてくれるアプリもわんさかある。最高すぎる。

「でもスマホでは限界もあって、、夜とか暗くなると写らないじゃないですか」

強がって反論したものの、よく考えてみたら普段からあまり夜の景色は撮らない。夜の運転は怖いし、眠い。撮りたい気持ちに駆られるのは朝日が登る瞬間から日が沈む直前までが99.9%くらい。え、なおさらスマホでいいじゃん。

うーん、うーんと悩みはじめたわたしを見て彼女は会話を進める。

「たしかにそうですね、私、ちょっと写真が好きな人の気持ち、考えてみたんです。それはですね、、

『見たくて、残したい景色があるから、撮ってる』

んじゃないですか?」




そうだ、それだ。それです。




そのときの気持ちと景色がリンクして、残したいと思って撮った写真は、構図をがっちり決めて撮るそれより遥かに自分の記憶に残っているし、見たときに鮮烈に思い出す。景色もそうだし、友達を撮った写真もそう。写真を撮りたい理由はそのときの気持ちを残したいから。

ミーハーなわたしにも、ちゃんと軸があって。

写真撮れるなら売れる写真撮りなよ、とか、撮れるならこの置物とか上手く撮ってみてよ、とか、そういうことを言われるのに違和感が出てたのも、わたしの軸から外れてたことが理由だったんだ。

心が動く瞬間を残す。その瞬間、その理想を撮れるカメラを探す。
だから人の写真にも意味を探すし、わたしが考えもつかなかった写真を見たときは心から感銘を受ける。

彼女の言葉を聞いてから、揺れに揺れていた自分の軸を立て直したら、またギャラリーにも好きがもどってきた。


居心地がいい場所は自分でつくろう。
そう思えた、午後の会話。

好きだなと思っていただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。