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悲しみセンサーの受信感度と”もう中学生”のやさしさ

昨日は、なんだか、”悲しい” が心に蓄積していた。

自分でも気づかなかったけれど、思い返せば納得だ。


★前日から大雨だった。

言ってしまえば、私は秋田に住んでいるのだけど、前日から県内に大雨警報、避難勧告が出ていた。私の住む地域は今回、幸い避難勧告や大きな被害などがなかったが、TVをつけると帯状に被害状況、避難情報、交通情報がずっと流れている状況で、ときどき大きな警告音で警報の発表があったり。その雰囲気だけで、弱小な鬱病pizzaのメンタルはやられてしまう。これが、地元でなくても同じようなダメージで、九州の大雨のときもニュースだけでただただ苦しくなっていたし、しょっちゅう揺れる日本の地震速報のお知らせだけでも、、、、、、

慣れることができない。

今朝の朝刊で、被害の写真が一面に出ていたが「うっ、、、」と。目をそむけてしまった。情けない。


★友達の誕生日に連絡したいけれど、できなかった。

昨日は、高校時代からの友達の誕生日だった。私のいろんなことを変えてくれたような、大事な存在。昨年連絡しそびれたし、誕生日でもないと連絡をとろうとする勇気が湧かないので、「元気?今はどこにいるのよ?」くらいの確認だけはしたいと思った。

、、、、、、でも、できない。

相手の"今"を知るのが怖いのだ。

知らぬ間に子どもが増えてたり、すごく大きくなってたりすると、なんだか、拒否反応が出ちゃう。

私だけなのかな。

私の人生だって、自分だけ見てたら進んでる。

でも、結婚して子どもを育てるっていう私の大きな夢をもう何年も前に叶えてて、人生が目に見えて進んでるともだちの現状を目の当たりにすると、なんだか、心の具合が悪くなっちゃう。

ただ、元気にすごしてるのか、知りたいだけなのに、連絡できない。

子育てしてるひとはしあわせなはずだとか、憎いとか、そんなことを思ってるわけじゃない。大変なのはわかってる。しあわせを願っているんだ。

だって、こんな面倒くさいわたしと、まだ友達を続けてくれているんだから。感謝しかないじゃない。

、、、、、、私が勝手に、おいてけぼり感を喰らっちゃうのかな。

昨日、LINEの登録をしている友人のアイコンをひととおり見てみたら、やっぱり、前見た写真より大きくなった子どもの写真には「うっ、、、」になる自分に気づいてしまった。やっぱり、ダメなんだ、、、、、、

こんな、自分の現状が、何よりつらい。苦しい。

直接、友達にあったのなんて、何年前だろう。

LINEとかメール、電話だって、今は勇気がいる。

そんな生活をしている。


★朝、母にされた説教が、妙に刺さっていた。

昨日は朝から、母に説教を喰らった。

きっかけは書くほどのことではないが、私は、

”わがまま”、”感謝の気持ちが足りない”、”素直じゃない”、”頑固”

らしくて、毎回毎回それを言われてしまうのだ。

これって、直るのかな?この点に関しては自覚はなんとなくあって、直したいけれど、どうしたら直るのかが分からなくて。

”言葉自体にいちいち傷つかない” ”言いたいことは可能なら言えるようになりたい”

という、自分なりの母に対する目標があって、一つだけ怒って母に吐いた言葉が、やはり、わがままだったのだ。

それを指摘され、そして母はさらにヒートアップし、「そんなんじゃどこにいったって(就職)やってけねえんだよ」「あのときも○○って言ったんだよあんた」、、、と、私が最も言われたくない(ことのひとつ)社会に適合できてないことや、過去のもう済んだことに対する私への被害届を山ほど、、、、、、

心は、完全に折られた。私が悪い、という気持ちで昨日も、私の心は負けた。



そして、もう一つ、なんとなく、おいてけぼり気分に飲み込まれていることに気づいたのは、

毎週、火曜日と土曜日に行われる、芸人”もう中学生”さんのインスタライブを観ている最中だった。

上記の3つの”悲しみ”が、積もり積もった結果、鬱症状的にたまたまその時間に気分が堕ちていった、というのが正しいと思う。


もう中学生(以下、もう中)さんのインスタライブの中の、世界のやさしさについては、以前も書いた通りで。

もう中さん自身も、視聴者さんも、みんなあたたかくて、本当に居心地がよくて。そして、コメントをたくさん読んで反応してもらえ、ゆるーいコメント合戦のような雰囲気なので、私も思ったことを自由に書きまくっている。もし、迷惑に思っている方がいたら、どうしよう、、、でも、この時間が、すごく落ち着く。

”カジサックの部屋” ”毎週キングコング” というYouTubeチャンネルは、”大爆笑”したくて観ている。でも、このもう中さんのインスタライブは、完全なる”癒し”。笑いもあるし、音楽の趣味が幅広くて楽しいのでその話ができる喜びもあるが、いちばんは、やさしい世界の中で安心できる時間がよくて、観ている。


、、、、、、それなのに、なぜその世界の中で悲しくなったのか。


そのときは、わからなかった。


もう中さんが、大尊敬している有吉弘行さんのラジオ『サンデーナイトドリーマー』にゲスト出演することが決まったようで、そのことで、もう中さんの頭の中はもちきりだ。

とにかくものすごく嬉しそうで、視聴者さんにアドバイスをもらったり、緊張していること、長年聴いていたラジオだったことなど、ずーーーーーっとこの笑顔で語っている。

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インスタライブでその日やる予定だったネタも放置し、溢れる喜びを抑えられない様子。ちなみに、ラジオ出演の前日のインスタライブでもその予習的なことに賭けてきそうだ。応援するひとの夢が叶っていくことは、もちろん嬉しいことだ。ありのままのキャラクターがいちばんの彼の魅力なので、大緊張になると思うが本番で存分に出せることを祈りたい。


とはいえ、私は、このラジオを一度も聴いたことがないのだ。

この番組のリスナーのことを”ゲスナー”と呼ぶこと、アシスタントが誰になるのかということ、などなど、私の知らない世界の話で、視聴者ともう中さんが盛り上がっている。

、、、、、、別に、もう中さんの話に100%ついていけなくても構わないのだけれど、こういうときに、ふいにさみしくなる瞬間って、誰しも経験があると思う。もう中さんが悪いのでなく、私の無知が招いている感情だし、あとで調べたりすればいい。


でも。

たまたまなんだ。


昨日は、朝から悲しみの貯金が、つもりつもっていた。

その貯金箱が、そのふとした寂しさを感じたときにだんだん、私の心に、鉛のような重さで負荷をかけてきた。知らない間に、心が、鬱々と、重くなってきていた。今思えば、鬱症状の気分の沈み方だった。

もう中さんが、笑顔でインスタライブを行っている最中に、こんな感情になるとは。



「なんだか悲しくなってきた」



ぼそっと、私はコメントで呟いてしまった。

たのしいときに、水を差すような言葉だった。



でも、

もう中さんは、

たのしいひとときをいったん止めて、コメントにぱっと目を見開いて、


「あら、なんだか、悲しくなっているひとがいる、大丈夫でしょうか、ねぇ」



、、、、、、気にしてくれるのだ。



、、、、、、そうやって、やさしくするから、甘えてしまうじゃん、この、あたたかい世界に。



「理由が、わからないのです」



そのとき、本当にきっかけが分からなかったから、こうコメントした。



また、それももう中さんは拾ってくれる。


「理由が分からない、ええー」



、、、、、、と。


残り時間を確認して、

おもむろに、豆絞りと、法被を身につけながら言うのだ。

「元気が出るように、”ところてん音頭”でしめたいと思います。かなしいひとがいるみたいなので」


、、、、、、ああ、私のために、わざわざ、また、視聴者さんも巻き込んでしまって、申し訳ないな、、、、、、



「絶対、大丈夫!悲しさなんて、味わえばいいんですよ。悲しいときは、流れに身を任せて、味わう!だね。結局、そのうち直るで」

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正直、頭がぼーっとしてしまって、ありがとう、ありがとう、とコメントを打ち続けることしかできなかったけれど、視聴者さんからも、「名言」「深い」などという言葉が出ていたのは記憶にある。



彼は、いつもそう。

予定していたネタを、他のことがやりたくなって予定通りやらない、今のことを続行する、ということはことは多々ある。でも、現在の視聴者とのやりとりの流れを止めてでも、何か困っている、悲しんでいるひとのコメントを見たときは、その気持ちに応えようと、そのひとのために言葉をかけたり、ひとネタ見せてくれたりする。

ひとの悲しみに、寄り添おうとしてくれるのだ。



多分。



私や、もう中さんは、”悲しみセンサー”の受信感度が、すごく強いんだと思う。

感情のふり幅が大きくて、喜びも悲しみも、ひとの何倍も感じ取れる。


ただ。


私ともう中さんの決定的な違いは、

受信した悲しみを、ひとのために出力できるかどうか。


私は、鬱病のこともあるけれど、いつも、悲しみで自分の心がダメージを受けてばかり。ひとの悲しみも自分の悲しみも、全部自分のダメージにして終わっている。ベクトルが、自分にしか向けられないのだ。

もう中さんは、ひとの悲しみを受信したら、そのひとのためにできることを、すぐ探す。自身も、悲しみを深く知っているから、そのひとに心を元気にしてもらいたい、という思いも強いのだと思う。

感受性が豊かなこと、ひとに共感しやすいこと、決して悪いことじゃない。素敵なことだ。

もう中さんのように、それを”やさしさ”として出力できたら、ひとが集まってくるし、やさしさをたくさん発信しているから、周りにもやさしいひとが集まる。そうしてできた世界のひとつが、もう中さんのインスタライブの世界だ。

一方、私は、共感が強すぎて、話の登場人物全員の立場になってしまって心が苦しくなったり、”悲しみセンサー”の感度があまりに強くて、受信するだけで心がやられて苦しくなり、自分を保つ努力で精一杯になってしまう。


母に、”わがまま”、”感謝が足りない” とか言われる理由って、そこなのかな、、、、、、


やさしくなりたい。


悲しみから得た経験を、ひとが喜ぶことにたいして出力できるようになりたい。



もう中さんの生み出すやさしい、あたたかい世界には、いつも甘えてしまう。

ご本人だけでなく、視聴者さんもあたたかいから。

わたしは、邪魔ではないだろうか、と、ときどき不安になる。



有吉さんがラジオに呼んでくれているのも、そんなもう中さんのお人柄がよいからだろう。

何があっても、大丈夫。

もう中さんは、そのままで素敵なひとなのだから。

大尊敬のひととお仕事なんて、緊張は避けられないだろうけれど、どうか、いつも通りのもう中さんが出せますように。

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こんな満面の笑みでたのしみにしている、もう中さんが出演予定のラジオ『サンデーナイトドリーマー』

8月2日(日)20時から放送みたいです。

生で聴くには時間が合うか分からないけれど、秋田からも聴けるみたいだったので、チャレンジしてみよう。


しあわせなときをじっくり噛み締められる瞬間が、皆さんにきますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。