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”相手の言葉尻をとらない”ことができない自分が大嫌いだ

自分を否定してはいけないのは分かってる。

でも、こういう自分が本当に嫌。

自分が嫌だ、と言う自由くらい欲しい。




先日のサポステのキャリアカウンセリングで、私が

”責任感が強すぎる” ことを指摘された。

指摘、というと強くなるけれど、

なんだか、指摘、という言葉を選んでしまいたくなるのは、私が自分を否定された気持ちになってしまったからだ、ということは、後から考えたら分かった。


保育士時代6年目でダウンして、鬱病になって退職した。

だから、その当時を思い出すと、かなり具合が悪くなってしまう。

でも、自分のことを知って、今何ができるのかを話し合うキャリアカウンセリングでは、いずれそういう話にもなってくる。

そこは、自分で、自分の鬱の調子を理解して、これ以上は今日は無理、と線引きができなければいけないのだ。

その日は、ちょっと調子に乗って深く話してしまった。


それがいけなかった。


6年目で辞めた保育の仕事、3年後くらいに、パートでまたやった、やっぱり一時的に調子がよくなって

”働きたい!働きたい!”

ってなってても、病状的に社会という場の適応力や、判断力などまだ十分じゃなかったことに加え、かなりブラックな職場で、おばちゃん先生に説教されて打ちのめされてもう行けなくなった。


命を預かる保育士が、こんな状態で現場で働いていてはいけなかったんだ。


私はこのことがあって、もう保育現場では働かないと決めた。



、、、、、、そのことを、カウンセラーSさんに話したら、


「あーーーーー、責任感が本当に強いんだね」


と、言われた。


「もし、今現場に戻って、フラッシュバックとかが起きて具合が悪くなったら子どもの命を守れない」

とさらに言葉をつづけた私に、Sさんは、


「その言葉ひとつとっても、”自分が苦しくなるからもうやらない”んじゃなくて、あくまでも子どものことを考えてるもんね」

、、、、、、と。




え。




保育士が、子どもの命を最優先するって、当たり前じゃないの?

子どもの命なんかどうでもいいと思って保育しているひとなんているの?


え、どういうこと?



、、、、、、、、、、、私にとって、全く理解ができなくて、もう、頭がパニック状態になってしまった。

その後の話も、いろいろあったけれども、内容よりも、

「無理やりでも言葉をポジティブにしないと」

という、押し付けのような言葉しか記憶になくて。


本当は、話の内容がもっとあって、本質はそういうことではないと思う。

でも、もう、言葉そのものしか、入ってこないのだ。



こうなってしまうと、もう、どこまでも、いつまでも、気になって具合が悪くなっていく。



私、学んだんだよ。

本で。


”相手の言葉尻をとらない” ってこと。

言葉そのものに噛みついていたら何も解決しないって。

そう言いたくなったくらい○○なんだ、とか、その背景を考えないと。


でも、

私、できないの。


いつまでたっても。





今日の話。



私は、今鬱病無職で、実家に住まわせてもらっている状態。

その中で、決まった家事はやっている。

状況の変化に弱くて、臨機応変に動くのが苦手でおろおろして母に怒られはするけれど。


私、どうしても、どうしても何故か、料理に興味がもてなくて。

何故か分からない。


今日の、夕飯前にも、母にぐちぐち言われて。


「今日のメニュー決まってたでしょ。付け合わせにこれあるなーとか、考えてできないの?なんでやろうと思わないの?」

(それは、私が勝手にやると母が気に入らなくて違うとかいつも言うからなんだけど)

、、、、、、から始まって。


各種諸々の、私に対する不満の盛り合わせを出される。


「何、毎日YouTubeだって。料理の動画なんていくらでもあるんだからそうやって勉強しなさいよ。」

(カジサックの料理動画観ても、全く興味湧かないんだよ、、、、、、不思議なんだよ、、、、、、)


そして、色彩検定の勉強を始めた私に、

「色の勉強だぁ? っとに、、、、、、料理くらいできるようになったらどうなの」





最初、まずは、


かっちーーーーーーん。



、、、、、、とはなる。



ただ、

その次に私が何を思うかというと、





”テキストと問題集全部処分したる。母に払ってもらった、公式テキスト払の代金は返そう。”






、、、、、、、、、、もう、ひねくれものでしかない。




こうして文章にすると、いかに自分が短絡的で、すぐいじけて、扱いに困る人間か、ますます表れるな、、、、、、




実際、色彩関連の本は処分してません。

とりあえず、広げてカラーシート切り貼りしていた現場から、きれいに片づけました。


でもさ、

ここで料理の勉強をしたのかというと、全くしてないの。



もう、私、何なの、、、、、、、



母の言いたかったことは、色彩の勉強をやめろ、ではないじゃん。

それくらい、わかるのに。



ただ、どうして私がこんなに料理に興味を持てないのか、、、、、、




母がダウンして、家にいないとき、自炊チャレンジやってみてはいたんだ。

母がいないと、できるんだ。



、、、、、、母がいないと、、、、、、、




もう、いいかげん、母親にとらわれるのやめよう?



、、、、、、、、、、でも、それもなかなかできない。




言葉自体に繊細に傷つくのも気にしすぎるのも、いつまでも母の顔色伺って生きるのも、もうやめたいんだ。


どうしたら、できるだろう。



このままじゃ、自分がどんどん嫌になる。




寝る前は、今日の自分のよかったこと考えるのがいいんだ。

わかってる。


でも、できない日があるよ。



”発言をポジティブに”できなくて、Sさんごめんなさい。




私が、頑固だからかな?



素直な人間になりたい。


軽やかな人間になりたい。


いつまでも引きずらない、さわやかな性格になりたい。



性格は変えられない。

変えられるはずの行動は、心がGOサインを出してくれない。



考えない、考えすぎるといいことがない、切り替えよう、とYouTubeを観るけれど、そうやって毎日が過ぎていく。

このまま、時間が経って、月日が経って、何年も経って、、、、、、




不安しかないよ。


自分の未来だけは信じてあげたいなんて言って、全然信じてあげられない。



ひとの、言ったことの背景まで、考えてあげられる余裕があったら、とっくにもう鬱病治ってるよね、、、、、、

高校時代とか、思いだしたら、結構背景考えられてたなって思うもん。


元々、できないことではないんだよ、きっと。


今、本当に言葉に敏感になってしまっているけれど、それをどうしたらいいなんて、わからない。

わかるひとがいたら、教えてほしい。

本に書いてあったけど、できないもん。

病気のせいだと思いたいけれど、どうなのかわからない。



自分に疲れた。





今日は、ただの愚痴になってしまったことをお許しください。



明日が、いい日になりますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。