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足りなかったのは、「いい仕事をしよう」という気持ちだったと思う

できること ー できないこと
やるべきこと ー やらなくてもいいこと
好きなこと ー 嫌いなこと
向いていること ー 向いていないこと
やりたいこと ー やりたくないこと

社会人生活を10年ほど、送ってきました。最初はできることなんてなくて、好きも嫌いも、向き不向きも、やりたいもやりたくないもわからない。ただ「やるべき」という一点のみを信じ、前に進んでいたのかもわかりませんが、気がつけば10年経っていました。

後悔はなく、むしろあそこで頑張れていなかったら、後悔していたと思います。
しかし、なんだかモヤっとしています。していました。いや、今もまだ少し、そんな気もします。

なんか違う このままじゃ、ダメ

遅かれ早かれ、誰もが通る道なのだと思います。
10年で、できるようになったことは、増えたと思います。でもずっと、好きも嫌いも、向きも不向きも、やりたいもやりたくないも、わからないままでした。
早く自分の中で定めないと、その焦りばかりが募りました。

もがきながら、好きなことはわかりました。向き不向きは、人に聞いたり、今までの仕事ぶりを振り返ったりしました。納得できる日もあります。でもすぐに覆ったりする。そんなことの繰り返し。

「仕事」への向き合い方がわからない

好きなことを仕事にすればいい?それでも、このモヤっと感を拭える気がしません。そうじゃない、何か違う、別のものが、仕事への向き合い方を邪魔している気がしました。

◇◇◇

わたしは、完璧主義だそうです。全く自覚はなかったのですが、周りに言われて知りました。一方で、完了主義という言葉があります。完璧ではなく、まずは完了することを目指すこと。仕事において、完璧主義よりも完了主義が求められることは多いと思います。わたしもまさにそう。完璧主義で何度も痛い目に合いました。自分でも、完了主義であることは、仕事上大切なことだと感じています。

しかしわたしは、完了主義に軸足を置きすぎました。

本当は、じっくり向き合って仕事をしたかった。しかしそれでは到底、アサインは遂行できない。だから、完了することを徹底した。本当はバランスをとってやるべきたったのに。そしてその過程でもうひとつ、大切なものを置き去りにしてしまった。

いい仕事をしよう

目の前にある仕事に対し、そう思いながら仕事をしたのは、いつが最後だったのでしょうか。どこで履き違えたのか。完了主義と引き換えに、置いてきていいものではなかったはずでした。なのにわたしはいつの間にか、置いてきてしまった。早くタスクを消すことばかりに気を取られ、早さと結論だけに囚われた仕事。これでは何をやっても、わたしは腹落ちするはずなかったのです。

ニワトリが先かたまごが先か、それはわかりません。好きも嫌いも、向きも不向きも、やりたいもやりたくないも、もちろん大切です。でも今のわたしに足りなかったのは、「いい仕事をしよう」という気持ちだったと思います。

連休明けの明日、また仕事が始まります。

「いい仕事をしよう」

その気持ちのためにも、明日はお気に入りの服で。


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