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どんな人を育てたい?

学生時代、教員になるか否か迷っている友人は多かったし、私もとても迷っていた。ある日友人が教授に相談に行ってもらってきた言葉が

「教科を通じて人間を育てる」

という言葉だった。

国語の先生は漢字や文章読解を教えはするけど、それが目的なのではなく、その教科を通じて人を育てていくのだと。

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その言葉から友人は教員の道をやめてCAになり、私は友達づてに聞いたその言葉で教員になった。以降学校で教えたり、塾や予備校で教えたり職場はいろいろ変わったが、その言葉はいつも私の根幹にある。

特に国語が好きなわけでも得意なわけでもなかった私だったけど(今もそれは変わらない)、それを通じて人間を育てるのなら国語だよねって思えたし、それならやりたいと思ったから。

いろんな場面で、自分は国語や文学を教える教師としてホンモノじゃないと自覚させられるし、それは常にコンプレックスだし、努力してもなかなか追いつけないんだけど、「私はそれを目指していないのだ」とはっきり思えるから、30年以上続けてこられたんだと思う。

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そして

私は、もちろん漢字や読解、大学入試問題の解き方を教える(しかもまあそれなり熱心に)けど、それに対する生徒の出来不出来はあまり気にならないのは、私の授業の目的はそこじゃないからだろう。

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どんな人間をそだてたいか。

広い視野と自分のものさしを持っている人。そういう人はきっと幸せになれるからだ。苦しんでいる生徒たちのほとんどが偏った価値観に縛られ、自分の大切な価値をつぶしてしまっているから、そんな不幸から抜け出して幸せになるために、授業をやっている。

偉そうに言うなら、「どんな人を育てたいか」を明確に持って授業したら、先生も楽しくなるんじゃないかな。教科書をただ教えたり、テストや入試のためだけに教えるんだったら、学校じゃなくていい。教師なら、何のために教えるのか考えたいし、学校で同じ目標を持てたら素敵だと思う。

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