見出し画像

ここで活躍すべき人たち

久米島での3年間の生活に区切りをつけ、沖縄本島に転居して1年経った。

久米島での3年間は、「生活は最高、仕事は微妙」

【生活は最高】

画像1

冬でも暖かい気候、しっとりした空気、エネルギッシュな強い日差し。いつでもばしゃばしゃ入れる美しい海。出かければ必ず知り合いに会える、けどちゃんとプライバシーは守られる人との距離。美味しい島野菜や果物。人懐こいこどもたち。休日もしょっちゅう生徒たちに会うけど、当たり前に手を振って挨拶、保護者も知り合い。こんな幸せな生活があるんだなぁと。

【仕事は微妙】

画像2

初めの2年間は、島の中学校で、授業内と放課後の自習室での学習支援。そして生徒が学びに向かえるようなイベントの企画運営だった。全校生徒100人の中学生とはあっという間に仲良くなれ、私たちを教員と同じように受け止めてくれていた。

3年目は、島に一つだけある県立高校の存続に関わる仕事に。高校職員室に席を置いていただきながら生徒との接点が少なくなったが、高校と地域を繋ぐ仕事をがんばった。

でも…

【島を離れて1年】

画像3

「なぜ島での仕事がうまくいかなかったのか」をずっと考えていて、そのたび沼のようなネガティブな感情に沈みこんでいたのだが、ようやく腑に落ちる答えが見えてきた気がする。

自分では、島の人たちに溶け込み、島の人たちと一緒に島の教育を考えていたつもりだったが、心の底に「沖縄の教育は遅れている」という思い込みがあったのだ。確かに、私の目に見える沖縄の学校の風景はかつての東京に似ていたし、東京での私はそんな学校教育に疑問を持ち、新しい教育を積極的に学んで実践していた。だから、島の学校をいつも「私もっと上手くできる」という不遜でおごった気持ちで見ていたのだ。

島にいるときは自分の不遜さに気づいておらず、むしろ自分はめちゃ謙虚に島の先生方から何歩も下がってサポートしていると信じて疑わなかったのだが、noteの投稿についた見知らぬ方からのコメントで気付かされた。(facebookは友だちしか読めない設定にしているが、noteで全く知らない方がコメントしてくださり、大きな気づきがあった)

【ここにはここで活躍すべき人がいる】

画像4

沖縄が大好きで、久米島の教育をもっと良くしたいと思っていたけど、私は外の視線からしか見られていなかった。島の人たちに仲良くしていただいて同じものを見ている気になっていたけど、そうじゃなかった。

沖縄本島での教員生活が2年目に突入する。あと何年いられるかわからないけど、今度こそ謙虚な姿勢で「ここで活躍すべき人たち」のサポートができるように、神様私に力をください、と祈ろうと思う。

画像5


#思い込みが変わったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?