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【特別編】 ヴィヴィアン佐藤/ VIVIENNE SATO(歪な多面体・新宿)

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後ろ向きに進んだときに何が見えるのか.   探りつづける行為.   ピリはじの原点.   あたらしいわたしは自分の内側になる.   受信を発信する.   歪な多面体.   建築をつくるとは?.   同一性を保つこと.   新宿2丁目.   理想像をコピーする.   シュルレアリズム.   原型がどこにあるのかないのか.   非建築家.   ドラァグクイーンになりたいと思うとそれ以上にはなれない.   固有名詞であって、一般名詞ではない.   誤読を積む.   そうであってそうではない.   分からなさを分かち合う.   差分を追いかけることが変わっていく.   言葉より先に体感しよう.   自分自身が世界の中で一番の謎.   社会の中の多様性、個人の中の多様性.   生たまごの殻を割る.   個の中に社会性を帯びている.   調べて最初に出てくる情報は本当なのか?.   敗者の歴史に耳を傾ける.   見えているものは全体の一部である.   どこまで潜り込んで探っていけるか.   酒場では何が起こっていたのか.   エントロピー.   エネルギーの交換.   二者択一ではない.   認めない力.   わたしたちはユニバースに生きている.   どう捉えるか.   地図はその人と世界との関係図.   ここではない「ここ」.   過去を救済する.   世界を球体で見る.   レイヤーで見る.   毎日生まれ直している.   いいハンマーになるには?.   唐突に.   終わりのころに存在するもの.   歴史がつくられる方向と語られる方向.

--miyabi
ヴィヴィさんにアフタートークのお誘いをしたとき

「イベントやトーク、プロジェクトはやったままで終わらせるのではなく、むしろ事後の方が大事とも言えます。せっかく断面が露出するような出来事が行われた訳ですから、そこから発展や自己言及、相互言及こそが大事ですね!!!」

と、お言葉いただきました。

--miyabi
まさにこのピリはじアフタートークは、

①事後に、他者と対話することで視点を拡張する。
②テキストにすることで対話も客観視して考察する。
③時間経過した際、アーカイブを見るタイミングによって意味合いが変動していく。

ということを無意識に行なっているのかなと。そして、過去と今と未来が繋がる瞬間が訪れているように思います。

--ayako
なるほど…
断面が露出する出来事。

今、ちょうど読んでいた本に「自分という存在はどこにあるのだろうか?」という問いに対して

「実は、他者と自己の間にあるのではないだろうか」という一つの解釈が書いてました。そして他者というのは「今の自分以外のすべて」と捉えることもできるなぁと。

過去の自分も他者の一人。
自分も自分たちも知らなかった断面を時間の経過とともに、いろんな時間軸の他者と対話させていくことで、今、その瞬間の自己とたくさんの他者との間に「自分という存在」をみつけていく。

--ayako
らしさって、意味合い(意味づけ?)なのかもですね。

--vivienne
他者と自分の話。
とても興味深いものです。。
ちょっと思い出したことがあり、秋なので「恋愛」のちょっと色っぽい話から。w

--vivienne
シュルリアリスムの創始者A.ブルトンの実験小説小説『ナジャ』
主人公はちょっと頭がおかしいナジャという女性に対して恋に落ち、パリ中を引き摺り廻されます。そのうち自分の心情と実際のパリの歴史や場所の意味などが共鳴し合っていきます。。
今でいうサイトスペシフィックな展開の様相を帯びて参ります。。

この小説に対して面白い考察が出来ます。。

冒頭に「私は誰か?」という問いが、いきなり出てきます。ww

--vivienne
例えばフランス語のQui suis-je?という文章は、
「私は誰?」=「私は誰を追っている?」=「私は誰が好き?」という図式が成立します。

(恋愛などの他人との関係のなかに既に、「私は誰?」という自己同一性の問題を含んでいるということになります。「私は誰?」ということは「他人を追うこと」もしくは「他の私を追うこと」。)

もともと「人を好きになる」という感情のうちには自己分裂的な要素(自己同一性への問い)が既に含まれている。「私」の中に複数の「私」がいることになり、非人称や匿名的自我にも繋がるのです。

ブルトンの私小説『ナジャ』(白水社)には、「つきあうhanter」という言葉が使用されています。(以上、白水社版の訳者でもあり、巻尾に名解説を記している巌谷國士氏の言葉から発展して。。。)

つきあうhanterという言葉は、同時に(幽霊などが)付きまとう、取り憑くという意味でもある。

誰かとつきあうとは、私が付きまとっているほかの私を、幽霊として現実の中に想定すること。恋愛とは自我の二分による幽霊への転身ということになる。

『ナジャ』において、「私とは誰か?」というテーマを引きづりつつ、最後幽霊城の様な空間へと導かれる物語なのです。。。

--miyabi
たしかに、恋愛に置き換えて考えると、私の中の知らなかった感情に出会う感覚が掴めます。自分のようで自分でないような。

自分で自分を発見する、そして、写鏡のように他者に自分を見る感じです。

--ayako
色っぽいはじまりに、ヴィヴィさんの奥行きを感じます…
分からない単語があったので
メモしながら進めさせてください…

【実験小説】
作家の想像や作為だけで小説を書くのではなく、科学者のような態度で人生を観察し、さらにいろいろな条件を与えて実験するように小説を構成する方法

【サイトスペシフィック】
その場所に帰属する作品や置かれる場所の特性を活かした作品

【自己同一性】
ある個物が他の個物から区別されて、それ自身としての一貫性を保持すること

なぜ、恋愛のなかに自我の二分が現れるのか。(恋愛に着眼点を置いてるところがすごい!)論理では説明できない感情の正体を探るために、もう一人の自分が付きまとっているということですね!

その関係を第三者的に俯瞰している自分もいたりして、なんだか頭が混乱しそうです。(実際に、恋愛の最中にいる当事者になればそんな冷静さと余裕はないんだろうなと思いつつ…)

--ayako
「私とは誰か?」という問いに対して、最後の一文はどうなっているのか気になります。

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