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親たちの不調と自分のプロセス

2023年は、70代後半・80代前半の両親の心身のコンディションに家族としていつもに増して寄り添う時間が増えている。親たちの年齢を考えれば、それも自然なことなのだけれど、いざその状況に直面すると「自然なこと」とは思えない不思議。おかしなもので、日々一定の時間をこれまで長年に渡って共にしてきたにも関わらず、どこかしらで「若い頃の両親像」が自分の中に残り続けていることに、その像が目の前でわやりやすく崩れはじめてから、気づかされている。

まず、母親の心身の不調から始まった。それが今年の3月の下旬。幸い、母の心の状態も体調も6月に入る頃にはかなり安定してきた。なので思い切って3週間、夫のいるマレーシアに滞在した。帰国すると、今度は父親の大腸に何かしらの異変がある可能性がここにきて出てきたのだ。まだ詳しいことはわからない状況ではあるけれど、一人娘としては、なかなか平常心ではいられなかったりする。それでも、これも「幸い」と言っていいかもしれないが、母の不調が予行演習だったかのように、3月の終わり頃から6月の中旬あたりまでの間に、

  • 深刻に心配することが寄与することは、実はほとんど何もないということ

  • 実は、心配するという行為が、「自分の中にある不安」を直視するのをわたしが避けるために使っていたということ

  • 何であれ起きていること自体は、その本人個性化のプロセスに大切なこと

このようなことを実習で学んだ感覚がある。

母の特に心の不調が改善されていくにつれ、目の前の母はわたしが子どもの頃から見ていた母・母親像とはもう同じでない、ということにも気づいている。母が、「自分で自分がなぜこうなってしまうのか(不調の頃の精神状態)が、未だに全然わからない。」と今でも口にするのだけれど、その時期を経た今の母の方が、以前の「良妻賢母」という形容詞がしっくり来ていた当時の母よりも、楽に日々を暮らしているように見える。そして、今の方がむしろ「本来の彼女」なのではないかと父もわたしも思えるわけで、これこそが「個性化のプロセス」と思えてならない。そうであってもなくても、わたしをこの世に生み出してくれた人が、更にそのようなプロセスを見せてくれることに、娘として感謝しかないなあと思っている。

マレーシア滞在中に、母が死んだあとの夢を見た。死に際に会うのではなく、葬儀に参列しているでもなく、母の部屋に行ったら母はもう死んでこの世にいなかった、という状況の夢だ。母の部屋の天井は、マレーシアで数か所訪れたイスラム教の寺院ーモスクの美しい天井そっくりだった。ピンクと白の混じった天井は、去年行ったPutrajayaのピンクモスクのようだった。その天井を見上げているわたしは、「いつの間にこんなリフォームしたんだろう?それにしてもかなりお金かかっただろうな。」といったようなことを呟いているのだった。

夢から覚めた時、なんという象徴的な夢を見るもんなんだろう、と自分で自分の見た夢に唸った。「母の死後」という夢の設定に象徴されるのは、わたしにとっての母からの分離・自立だと即座に思った。夢の中で悲しんでいるわけでもなく、夢から覚めた後に悲しい気持ちに見舞われるでもなく、不思議といえばそれも不思議だった。ザビエに師事し続けている間に蓄積された「夢の中のシンボルの読み取り方」が少し自分なりに前進した気がした。その後、友人で夢に詳しい人からも「母親からの自立」というコメントを添えてもらったのが、さらに確信につながっている。

そんなこんなで、次はわたしにとっての「危機」(程度はどうあれ)を、父親の腹部CTの検査結果異常あり、という形で迎えているわけだけれど、春の予行演習のおかげか、母の時とはまた違った面持ちでいる。今日が再検査の日だったんだけど、かかりつけ医師から「内視鏡検査だ」と言われ行ったところ、一先ず「大腸の精密検査を最初から」だったというわけで、血液検査やらCTやらを今日は行ったらしい。これからいくつかの検査を経て結果は来月初旬にわかることに。全く問題ないか、または問題があったとしても最小限であることを願いつつ、わたしも、何であれ起きることを受け止めていく準備を少しずつしているところ。

すっかり前置きが長くなってしまった。書きたかったことは、別のことで、今週日・月と、ザビエの継続クラスの時間だった。各回2時間ノンストップで話してくれた内容の中に、母のプロセスを理解する上での「答え合わせ」のような事例をザビエが話してくれたことに端を発している。

ここまで書き終えて公開設定した後に目に入ってきた2年前の記事。これを読むと、自分でプロセスを踏んできたことを確認できるなあ。わたしにとってのコロナと言われた2年半は「人生の危機」だった。本当に。でもちゃんとその「危機」という時間を通ってく中で確かに「手にしたものがある」ことを、この記事を読むことで確認できて嬉しい。わたしなりにがんばった。

書きたかったことのつづきはまた明日にでも書くとしよう。


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