私の中の東京について

未見だった「君の名は」がテレビ放送されていることを知って、チャンネルを合わせてみた。
ちょうど男の子が起床して、あたふたするシーンが流れていた。彼の中身は、過疎化する村で暮らす女子高生。CMで何度も観たやつだ。
彼(彼女)が戸惑いながらも身支度を整え、マンションの扉を開けて外廊下へ出ると、そこには都会の風景が広がっている。遠くに見えるのは新宿の高層ビル群。眼前には首都高。
彼(彼女)は電車に乗る。降りた先は新宿。

南口のLUMINE、正面を流れる甲州街道。この物語の時間軸当時は、南口の再開発工事で道路幅が狭く、牛歩のように歩行者がぞろぞろと歩いていた。
西口のヤマダ電機と大型ビジョンも映し出される。当時完成したこの大型店舗を中央線の窓から眺め、このご時世に景気がいいなあと感心した覚えがある。建てられてまだ何年なのか、こうやってすっかり新宿の顔になっているのが不思議だ。新参者なのに突然ランドマークになった建物といえば、西口のコクーンタワーもそうだったか。

はるか南の離島に引っ越してきて三ヶ月、毎日のようにテレビで東京の様子を目にしていたはずなのだが、このフィクションの絵を観た時に、なぜだか久しぶりに「新宿の映像を観た」と思った。

彼(の中の彼女)の目線では、新宿という街はぴかぴかした都会の風景として映るのだった。実際はすえたような異臭がどことなく漂う街。人の多さと苛立ちが肌感覚で伝わってくるような街。うつくしいものと汚いものが全部同じ箱に突っ込まれて、そのまま煮詰められたような混沌の街。

私が東京に住んでいた期間は十七年に及ぶ。
大学進学で上京して以来、何度か引越しを重ねた。住む地域も沿線も最寄駅も何度か変えた。
けれども、住む場所には一つだけ共通点があった。

東京に長らく住んでいたにも関わらず、私は都会のど真ん中が苦手だった。だから、杉並区に住んでいた二年間を除いて、すべて住まいは東京区外を選んでいた。東京の市はすべて西側エリア。そして西側エリアの電車は、おおむね新宿を終点とするか、もしくは経由する。

大学時代からフリーター時代まで、お世話になったバイト先は新宿西口の高層ビル群にあるコールセンターだった。大学と並行して足を運んでいた演劇学校も、新宿から二つ先の駅だった。
仕事場が変わっても、乗り換え先として使うのは大抵新宿。だから仕事帰りに買い物する場所も新宿、休日の暇つぶしに足を運ぶのも新宿。飲み会で集合するのも、オール明けに見上げる空も、やっぱり新宿。

今はまだ内地に戻りたいとは思わない。今後何らかの理由で関東へ戻ることがあったとしても、きっと東京都心部は選ばないのだろうという自覚もある。
それでも、新宿西口側の道路(若い頃に色々あってこの辺りを号泣しながら自転車で駆け抜けた思い出)が映った時には、ちょっと懐かしさで目が潤んだ。
私の中の東京は、イコール新宿だ。雑多で騒がしくて美しくて汚くて、ビルが高くて道路は無機質でぎらぎらしていて、掃いて捨てるほどの人が溢れている街。東京のすべて。

しかし移住して三ヶ月、特に都会を懐かしむこともなく暮らしてきたはずなのに、郷愁(と言っていいのか)というものは思いがけないところで煽られてしまうのだなあと、びっくりする気持ちであった。

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