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盆が来て夏が終わる(いや、終わらない)

八月中旬の某日、昼下がり。いつものように昼食を買おうと地元スーパーへ足を運んだら、そこは地元民でごった返していた。店頭にはオードブルを引き渡すための特設ブース、おなじみの惣菜コーナーには十人用の寿司折、どでかい巻き寿司の二本セット、オードブルの山。一人用の弁当など影も形も見えない。
これが沖縄の盆というものかと、袋に入った折詰の山を抱えて帰る人々を眺めながらちょっと慄いた。
盆と正月が同時にやってくる、という比喩をしみじみ噛み締めた。この様子はまさに正月。

沖縄の盆といえばお墓で宴会をする様子を思い浮かべる人も多そうだが、ここ宮古島はその風習がない。墓は沖縄式で大きいけれど、宴席は内地と同様、自宅で囲むのだそうだ。

夕方、新盆の親戚の家に夫と顔を出した。お茶を飲みながら、盆の準備についての話題になった。
親戚曰く、自分の出身は宮古島の某集落だけど、故人は伊良部島の某集落出身なので、風習が違って戸惑ったとのこと。お盆の準備も島で違うんですか、と尋ねると、島によっても違うし、さらに集落によっても分かれるとの答え。
宮古島と周囲の島で構成される宮古島市は、今は多くが橋でつながっているけれど、元はそれぞれ独立した島だ。しかも、島の集落ごとでもルーツが異なるために、同じ島内で方言や文化が分かれるのだそうだ。
以前より夫や周囲から聞かされている話ではあるが、行事の度に改めて実感する。

夜は、夫のおばあの家に親戚一同で集まっての宴席が開かれた。
ロウソクは何本だっけ、立てっぱなしで良かったっけ。
玄関は開けっ放しにておこうね、神様の通り道だから。
いま供えているお酒のビン、中身はペットボトルにでも移して、新しいものに入れ替えて。毎日新しいお酒をお供えするから。
内地と似ているようで少し違う風習が面白い。感心しながら言われるままに手伝いを進める。

飾られる果物の中にはサトウキビが入っている。
このサトウキビには理由があり、神様が天に帰る際、お供え物をサトウキビに括り付けて持って帰るからなのだそう。便利だけど重力が片側に偏りそう…と思っていたら、甥っ子も同じことを言っていたらしい。
あとはパイナップル、もしくはパイナップルに似たアダンの実。
これも沖縄らしいお供え物だと思っていたところ、こちらにも理由があった。天国への帰路の最中、お供え物を奪おうとする悪い奴に襲われたら、投げ付けて撃退するために供えるのだという。まさかの武器。面白すぎる…。

夜も更ける時間、義母が台所で何かを燃やし始めた。
聞くと紙のお金だそうで、これを燃やすことでお金を神様に持って帰ってもらうらしい。
普段は外で燃やすけれど、今年は雨だから家の中で燃やしているとのこと。面白がって、幼い姪っ子たちとワイワイ紙を焚べる。もうもうと煙が立ち、紙の切れ端が舞い上がって落ちた。

南の島はいつでも暑くて、季節感も何もないぞ常に暑いぞと時々ぼやくこともあるのだが、何かを燃やす夜というのはどうしてか夏の匂いがする。
花火とか、蚊取り線香とか。

お盆も終わって、本島から遊びに来ていた親戚も帰り、もうすぐ暦では秋の季節。
とはいえ、南国には来るのかしら、秋。(きっと来ない)

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