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人の期待に応えることがどれだけ無謀で無駄だったかを、20年越しの母の一言で思い知った

死ぬ〜〜〜
8月なんかいもう?
もう人生終わりじゃないか、もう後ちょっとじゃないか、
人生の速さについていくために俺はやるぜ!俺はやるぜ!俺はやるぜ!!

ていうか最近めっちゃ料理系のSNSにハマっててんですけど、めっちゃ劣悪な環境で料理してて面白い人が多くて楽しいでございます。
家にそもそも物を切れるほどのスペースの無い人の料理とか、料理道具持ってない人の料理とか、それでも美味しそうな創意工夫の数々が繰り広げられるのでめっちゃおもろーです。
丁寧に生きる系の料理動画も大好きですが、うまけりゃ家燃えてもいいやんみたいな動画も大好きです。
ちなみに私の作る料理は激まずなので料理系動画を見て何とかうまい飯にありつきたいです。

先日めっちゃおもしろ大ショックなことがあったのでそのことについて書きたいと思います。
結論、人の期待に応えるというのは無理で無駄!ということです。
いや〜〜身を持って知ったぜ、ボカァびっくりしたよママーーーー

1ヶ月ほど前、お姉ちゃんが子供を産んだんですけど、(おめでとうお姉ちゃん私のいとしいひと!)
もう生活が変わっててんやわんやだそうで、息つく暇もないほど目まぐるしく毎日を過ごしているそうです。
で、赤ちゃんはまだしも、上の子が新しい環境に慣れなくてストレスを感じているそうで、なかなか全てのことがスムーズに行かないことにお姉ちゃんもすっかり疲弊してしまって、家族のLINEで「疲れたー」みたいなことを言ってたんです。
そしたらお母さんが、
「子育てってそういうものだから。お母さんも、子育てに関しては思い通りにならないことばかりで、大変なことしか無いくらいだったよ。それでも、それに代えがたい幸せがあるからね…」
みたいな返事をしてたんです。


えええええええええええええええええええええええ
センターオブジアース大噴火
えええええええええええええええええええええええ
ハイタワー3世大落下
えええええええええええええええええええええええ
(ディズニー生きたすぎだろ)
すみません情緒がわりと終わったのですが、
まじでワンピースのキャラ並の驚き顔しました。

お、お、お、思い通りにならないこと…ばかり!?!?!??!?!?
私、あなたの期待に、、、ずううううっっっと、、あんなに、、、こたえてきたのに!?!??!?!?!?!???!!!!!!!!!!!!!
ってことがありました。
(すみません、文字に起こすと激キモですが今真顔でこれ書いているので全く何も問題ありません)
私今年30なんですけど、30年生きてきてやっと、身を持って知りました。
他人の期待になど応えられないのだ、と。
そして、人の期待に応えようとすることほど無駄なものは無いんだなあ、みつーを、ということ。

私は子供の頃まじでいい子だったと自負しています。
お母さんの機嫌取りの一貫だったことが、周りの子より若干器用だった、という偶然を活かして優等生となり、
何でも学年一番、生徒会長、花形のピアノの伴奏、親が周りに自慢出来る程度の進学校行く、みたいな感じの子供でした。
前も書いたかもしれませんが、自由研究ですら、県大会には最低出ないといけない’(どういうこと)という謎の暗黙の了解の元、夏休みは死ぬほど興味の無い実験してました。
最後の6年生の時だけ、好きなものをやってよかったので、葉っぱの紅葉に関する研究をしたのが超楽しかったのを覚えています。(大会もクソも声がかかることはなく、クラスのロッカーの上に展示されて終わりました。)
ピアノ教室も、発表会でいい成績を残すとか、コンクールで賞を取るとか、そういうのを度外視してゲームのサントラの楽譜を持っていった時が一番楽しかったです。
そういう時、先生にも親にも必ず落胆と動揺の入り混じった顔をされたことを今でも鮮明に思い出せますが、私にとっては
自分を勝ち取った
経験なので、多分それがルーツになって、私は誰かが自分の行動で落胆するのを快感に思ってしまう、というかなり性格の悪い悪趣味、という形でなごりが残っています。
(いや多分それは性格が悪いだけなのでは)
そして同時に、自分を勝ち取る、ということにかなり快感を覚える人間になりました。

という、大人の敷いたレールを一生懸命ひいはあ言いながら走って走っていた良い子ちゃんな子供時代を過ごしたわけですが、
その20年とか10年後に
私はたいして良い子ちゃんでも無かったし誰の期待にも応えられていなかった
ということが判明したのです。
前述したお母さんのメッセージを一目見た瞬間、思わず、
あなたのためにやってたのに!!!
という言葉が頭の中を駆け巡って、色んなことが自分自身にバレた感がありました。
そう、私は全部お母さんのせいにしたかったんですね、
親にこれやれ、こう生きろ、と言われていたことをただ従う、ということは、
誰かのために何かをする、という意識の根底にあるのは、
自分を手を汚さず何かを手に入れた気になりたい、という姑息さであり、
自分の人生の責任を放棄しているくせに、自分の人生を生きる覚悟のない悔しさを他人になすりつけようとしていた、ということです。
まあ子供の私にそんなことを言うのは酷ですが、お母さんの一言に対して私の中に湧き上がった感情により、それが丸見えになって非常に面白くて気持ちだけでもディズニーシーに行った気分でした。

どんなに期待に応えようと思って人生を捧げようとも、
そもそも誰かに期待する人が満たされる条件は、人に何かをしてもらうことではなく、
自分の世界を自分の満足出来るものに努力して進化させていく、
ということだと思うので、そもそも他人様の期待をこんな小生が満たせるわけがないのでございます。
世の中には人に期待されすることについてたくさん発信がされていますが(私も過去に何度もしたことがある記憶がありますが)
今回身を持って実感し、でかすぎる空気砲を食らったような気分になった、という話でした。

最後に断っておきますが、私は別に親恨み系の発信をしたかったわけではありません。
お母さんの未熟さが子供から大人までの私に、長い時を経て大きすぎる学びをくれた、と思っているので、むしろ感謝したい次第です。

はあ…人生をもっと長くしたいのに、暑さで体がやられていて頑張れない…。
時間止まってほしいですね。
いや無理なのでコツコツ強いヘルシーな体作りに励むことにいたします。
皆様も夏風邪や熱中症にはくれぐれもお気をつけください。

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