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系図を書く~甲相駿三国同盟の系図~

らせん計画の事業とは全く関係ないが、密かなマニアックな趣味としてやっている系図を書く遊びをしていることについて書いてみようと思う。系図といっても自分の家の系図を作成するのではなく、日本史の人物の系図を書いている。

もともと日本史は好きで、教科書や本には系図が書かれていて、それを見るのは好きだったような気がする。学生時代には日本史の試験勉強でも系図を使ってまとめをしていたりもしていた。

学校の勉強でやらなくなったのちにも、好きで歴史の本は読んでいた。時々、本を見ながら、この系図とこの系図が繋がるんじゃないかとか、系図をアレンジ?してみるようになった。

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以前は手書きで系図を書いていた。それを最近はPCで清書してみたり。

Wikipediaの活用

最初は本を見ながら書いていたが、最近はWikipediaを見ながら自分で書いたりしている。
Wikipediaの歴史上の人物の項目には、

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出典:『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より
URL:  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%8E%84

のような姻戚関係を示す項目(赤で囲ったあたり)があり、そこを元に、それぞれの項目を読み解きながら系図を書いている。

※最初に断っておくが、主にWikipediaの記載をベースに作成しているため、諸説あるものや真偽が定かでないものもあるため、必ずしも正しいかとは限らないものもある


甲相駿三国同盟の系図

例えば…

戦国時代、武田氏と北条氏と今川氏が同盟として、

・天文21年(1552年)、今川義元の娘・嶺松院が 武田信玄の嫡男・義信に
・天文22年(1553年)、武田信玄の娘・黄梅院が 北条氏康の嫡男・氏政に
・天文23年(1554年)、北条氏康の娘・早川殿が今川義元の嫡男・氏真に

といった婚姻関係を結んだ甲相駿三国同盟を系図に表すと、

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といった感じになる。

三国同盟前後の婚姻関係を加える

一般的には、上記の図は多くの本などに掲載されているが、そこにさらに、武田氏と今川氏、北条氏と今川氏のそれぞれの三国同盟以前からの婚姻関係、三国同盟崩壊後の婚姻関係、

・武田信虎の娘・定恵院(信玄の姉)が今川義元の正室に、
・伊勢宗瑞の姉(もしくは妹)・北川殿が今川義忠(氏親の父)の正室に、
・今川氏親の娘・瑞渓院(義元の妹?)が北条氏康にとついでいた。
・また、信玄の死後、甲相同盟の強化のため、天正5年(1577年)に北条夫人(北条氏康六女)が信玄の四男・勝頼の継室として嫁いだ。

これらを全て系図に落とし込むと、

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といった感じになる。

これに、北条氏直に徳川家康の娘・督姫が嫁いでいるなど入れていくと無限に広がっていくのだが、今回は、武田・北条・今川の関係を表す系図として書いたので、そこは省いた。

あらためて、系図をみてみると、もともと婚姻関係を結んでいた今川氏と北条氏、武田氏と今川氏それぞれが、同盟強化のため、3国で三つ巴?を結び、今川家が衰退したのち、(一度はこじれた同盟関係を信玄の死後)武田氏と北条氏が同盟強化のため改めて関係を結んでいるのがわかる。(しかし、こののち上杉氏のお家騒動「御館の乱」がおこり、武田氏の政策転換により、両氏の関係は再度こじれていくのだが…今回は甲相駿3国の話なので割愛した)

こんな遊び?を時々している。なるべく他の系図を見ずに、文字から起こしているとパズルを組み立てているような感じで、もくもくとやると結構気分転換になる。(うーん、マニアック)

こんなマニアックな趣味にニーズがあるかは微妙だが、今後も時々系図を掲載してみようかと思っている。けれども、noteの掲載サイズには限界がありそうなので、どのように表示していくかはやりながら考えようと思う。


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