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菜穂子・楡の家

"彼女はもう今は何もかもを気ままにして、無理に聞いたり、笑ったりせずともいいのだ。彼女は自分の顔を装ったり、自分の眼つきを気にしたりする心配がもうないのだ。"1941年発刊の本書は私小説の流れの中で【フィクションとしての文学】を確立しようとした著者唯一の長編かつ晩年の代表作にして生への葛藤を描いた一冊。

個人的には宮崎駿のアニメ化の際に、美しい言葉が印象的な『風立ちぬ』を手にとったのに続き、2冊目として手にとりました。

そんな本書は、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を意識して、菜穂子(なおこ)という不幸な結婚生活に陥ったヒロインが生を渇望していく姿を【母親や夫、幼馴染からの視線、そして本人の語りで対位的な構成で描いている】のですが。まず印象的なのは三島由紀夫が『どんなに周囲の物語が変貌しても、菜穂子だけは古びない』と評した創造されたヒロインの存在感でしょうか【無言で美人にじっと見つめられる】のは苦手というか、怖いですが(笑)普遍的な魅力を感じました。

一方で、著者の上品かつ美しい言葉選びは本書でも充分に伝わってくるのですが、太平洋戦争直前の発表という時代の息苦しさもあるのか、古き時代の奥ゆかしさなのか【登場人物それぞれの行動がもやもやしたまま】また物語自体も初期構想こそ大長編だったらしいですが、結果的に【ミニマムに暗示するままに終わってしまう】ので、著者自身は『生まれてはじめて本当に小説らしい小説を書いたような気がする』と記しているので、満足しているようだけど、良いのか?ともったいなく思ってしまいました。

アニメ『風立ちぬ』の補足として、また昭和初期の『女性の自立』を小説として美しく描いた作品を探す人へ。また芥川龍之介ファンの方にも変化球的にオススメ。

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