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西瓜糖の日々

"いま、こうしてわたしの生活が西瓜糖の世界で過ぎてゆくように、かっても人々は西瓜糖の世界でいろいろなことをしたのだった。あなたにそのことを話してあげよう。わたしはここにいて、あなたは遠くにいるのだから。"1964年発刊の本書はヒッピー文化のアイコンとして若者たちを熱狂させた著書による詩的幻想小説。

個人的には時として原文以上とも評された藤本数 和子訳、日本翻訳史上の"革命的事件"『アメリカの鱒釣り』についで2冊目、その【唯一無二の言語感覚】を再び楽しみたくなって本書を手にとりました。

そんな本書はアイデス"iDeath"ー【自我の死】とも捉えることの出来る名前の共同体、野菜の彫刻や西瓜糖、砂糖でつくられた家が並ぶ透明で静かな【物資社会を否定したような】ファンタジックなコミューンを舞台に【平和と愛、そして暴力と死】を題材にした青春物語の様に展開しー予想通りに【物語としては回収されずに終わる】わけですが。だからといって不満があるかと言えば、全くそんなことはなく、人の言葉で語りかけてくる人食いトラ、じっと睨んでくる長老鱒といった非日常、何度も描写される恋人や仲間との食事風景の日常をいったりきたりしながら、ふわふわといつまでも【雲のように浮遊するかのような】読書感覚が終始心地よかった。

一方で、だからこそ途中で起きる、アイデスと対になるかのような【忘れられた世界】に住み着き、かっての物質社会の遺物を発掘しながら酒浸りの荒くれ者たちの乱入による血と暴力、自殺はイメージとしても鮮明に印象に残り【雲から地上に突き落とされて】はっと目が覚まされるようで、ことばにはできない戸惑いの中、48歳と若くして自殺した著者に問いかけをされたような気持ちになりました。

1960年代後半のカウンターカルチャー、ヒッピー文化を懐かしく思う誰か。あるいは翻訳を学んでいる人、またはファンタジックなディストピア小説を探す人にオススメ。

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