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審判(訴訟)

"何者か、ヨーゼフ・Kを密告したものがあるに相違ない。というわけは、ある朝、身に覚えのない彼が突然逮捕されたからである。"死後、1925年に編集・発刊された本書は長編『孤独の三部作』の一つにして不安、不条理な世界観が世界文学に今も影響を与え続けている未完の傑作。

個人的には主宰している読書会の課題図書として、数年ぶりに再読してみました。

さて、そんな本書は著者の別中編『変身』とよく似た始まり方で、ある朝、アパートで目覚めた銀行員Kが突然、逮捕される冒頭から始まり、なぜ逮捕されたのか?逮捕した"裁判所"もいっさい理由を説明しない中で、Kの『終わりの見えない問答が続いていく』のですが(この辺りは別長編『城』の展開と似てますね)

まあ、古典的名作。作家論的解釈としては『当時のカフカの女性関係』(カネッティ『もう一つの訴訟』)や『父親に対するエディプス・コンプレックス』として、またテクスト論的解釈としては実存主義的な『不条理文学』やデリダによる『脱構築』。あるいは友人にして編者のマックス・ブロードによる『シオニスト』的解釈と様々な論評が既にされているわけですが。

『それもそれ』として。再読して、あらためて思ったのですが。用意された登場人物の誰かに自分の感情を重ねて、著者が意図し用意した【起承転結的な一本のストーリーを追体験してなぞっていく】例えば、かってのドラクエシリーズ(ロト三部作)的JRPG的な作品を好んだり、親しんでいる人だと、本書は銀行員Kも【終始傲慢だし】また登場人物達も回収されずフェイドアウト。ストーリーはまったく先に進まず唐突に終わる。となかなかに【ストレスがたまるのではないか?】とやはり思いました。

一方で、数年ぶりの再読。と、当然に歳を重ねて、そもそもずっと人生は努力しても必ずしも報われるわけではない『不条理さ』ばかりである事を憤りというより【自然に受け止められるようになったり】読書(会)も重ねて、例えば風刺文学を著者がおそらくは意図したガリヴァー旅行記が『児童文学に変質したり』といった【時代の読み手によって変わる】事を"既に知っている"立場としては、おそらくは本書は今で言えば"読み手をあまり意識しないブログ創作日記"として、著者は本当は感じるままに"書きたいから書いていた"だけではないか?と、身も蓋もないですが。肩の力を抜いて【私的解釈したくなるのです】(だって未完だし)

不条理文学の代表作としてはもちろん。著者の意図より【自分自身で勝手に楽しみたい】そんな方にもオススメ。

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