私の芸能史

私の芸能への目覚めは、間違いなく、母が見てた「笑っていいとも!」だと思う。
母は、いいともは最終回まで付き合ったもんな。
母がヒルナンデスに移ったのは、いいともが終ってから。

90年代までの笑っていいとも!のレギュラーはすごかった。ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、所ジョージ、片岡鶴太郎、金曜日にずっといたさんちゃん(明石家さんま)
第一線の芸人がレギュラーだったのが、影響してると思う。

次が、中学生で聞いたSTVラジオ「船守さちこのスーパーランキング」(スパラン)
スイミングスクールの友達から、STVでネットしてた「ポケモンアワー」(ニッポン放送)を勧められて、その流れで聞き始めた。
この番組がラジオにのめり込む原因になったんですが。
当時のSTVラジオは、日高晤郎イズムが他の番組にも影響してたと思う。
今も北海道のラジオ局で、時事ネタを情報番組以外で扱わないのは、晤郎イズムの影響だと思うけど。
日高晤郎ショーは、時事を風刺し、人生を語ってた番組ですからね。

ラジオにのめり込むうちに出会ったのが、笑福亭鶴光師匠。
「オールナイトニッポン」のテレビ特番で、師匠が司会だった。
『東京にこんな面白い人がいるのか』と思わされた。
それをきっかけに、ニッポン放送が直接的聞こえる冬だけ「鶴光の噂のゴールデンアワー」を聞いてた高校生だった。

落語を聞くようになったきっかけが、鶴光師匠がラジオのレギュラーを全て止めたことからだった。(2009年3月)
ラジオのレギュラーが今もあったら、寄席には行ってないだろう。
初めて行った落語会は、新宿角座深夜寄席だった。
そこから、鶴光師匠を追い掛け、YouTubeでは桂米朝・桂枝雀師弟の音源ばかり聞いてた。

初めて、落語定席に行ったのは池袋演芸場(2013年9月18日)
それも、芸協の芝居ではなく、落語協会の芝居。
橘家文左衛門(現・橘家文蔵)師匠目当てで。
文蔵師を知ったきっかけは、米朝師匠と同じ出囃子(三下りかっこ)だったことから。
仲入りに柳家喬太郎師匠が出てくる豪華な芝居。
なので、初めての池袋演芸場は満員でした。

ストリップを見るきっかけは、神田松之丞(現・神田伯山)さんが「浅草ロック座・武藤つぐみさん」の話をしてたことから。
でも、その割りに、初めて行ったストリップ劇場は池袋ミカド劇場(2018年9月28日)で、そこで黒瀬あんじゅさんに出会った。
あんじーの明るいポラ対応を見なかったら、ストリップを見続けようとは思わなかったと思う。

ざっとこんな感じ
芸能観の形成は、ラジオを聞くようになってからだろうなあ。
母が子供の頃、ラジオを聞いてたり、演芸番組を見てたのも大きい。
その価値観だからか、今と合ってないなと思うことも多いけど。

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