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後遺症の光と影

意識不明のままの彼をストレッチャーに載せて彷徨った夏があった。

診てくれる先生、入院させてくれる場所がなくて。

身寄りはないというだけでそれを探さなければならなかった。

やっと搬送された先で入院できたが、断ってはならない義務だけで受け付けてくれて、僅か一日で電話がかかって来た。「治らないので引き取りに来て下さい。」と。

治療は何もされていなかった。

しかし、迎えに行った時、彼にわずかばかりの意識があった。何か言っている。
耳を近づけてその声を聞き取った。

「腹減ったぁ・・・。」

食事も摂らせて貰えず、僅かな点滴だけだったのだろう。

施設に連れ帰り、そこからが闘いだった。まずは飲み物。

脳出血後で嚥下力も落ちている人。薬の一つも処方されない人に何が出来るのか?

看護が出来る。

きっと病院では食事どころか話しかける人さえ居なかったのだろう。

毎日皆で話しかけ、拘縮して左側しか向かない首のため回り込んでは顔を見詰めて話したり、そのうち、わざと反対側から話しかけたり。

そうしているうちに屈曲していた膝が真っすぐ伸びるようになった。首が真っ直ぐに戻り、三か月後の今は、反対側も向ける。

ついにゼリー食を食べられるようになったし、笑顔が出て来た。

歯医者さんを呼んだ。

来週はゼリー食を卒業して、全粥とおかずは極きざみで、ずいぶん食べ物らしい食べ物が食べられる。

言葉もハッキリと発するようになった。

それは彼の意思だった。願いだった。

後ろを振り返ると、思い出の中で暗闇の道をストレッチャーを押している自分が見える。真っ暗闇だった。あの時の闇は、一部心から消えない。世の中の暗闇を観てしまったから。

ただ。

光の方へ歩く人が居たら、もしも、その足が動かなくなったなら、心が動かなくなったなら、多分これからも押したり引っ張ったりして進んで行くだろう。それが人によって良い悪い、どちらに取られようとも。


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