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感謝 / 雑事 / テニスボーイの憂鬱

”視覚派と聴覚派と体感覚派(それは生まれつきかも)”にスキを下さってありがとうございました。とっても嬉しいです。

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昨日作った管理職研修の課題を提出した。看護プロジェクトで頼まれていた法人のマニュアルの修正も終わった。勤務表も出来た。たいしたことではないのだけど、自分勝手な私にとっては、これら普通の大人なら軽くやっている仕事が、精神的に苦痛&困難。なので、とりあえず自分を褒めてあげたい。

終わった瞬間、思い切り狼の遠吠えをやりたくなったが、職場だったので、グッとこらえる。(自宅で一人の時、時々やっている。)

もう10月初旬には事例研のファイルを仕上げたいと言っていたのに。

ええ、これが本当にやりたいことだったと言うのに、思えば、科学的介護推進体制加算のLIFEのファイル作成から始まり、次から次へと色んなことが怒涛のように押し寄せ、どうなることか?と思った。

途中で3つの事業所のインフルエンザ予防接種やら、結核関連の検査やらも舞い込み、本当に大変だったが・・・終わった!わおおおおおーーーーーーんっ!

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先日、視覚派だの体感覚派だのという話になったきっかけと言うのが、とある争いごとを目にした事だった。

え?何、これ?意味が分かんない。と思いつつ、出来れば分かりたいなあと思って、色んな人の言葉を読み進めて行った。どんな複雑なことが起こっているんだろう?と。

それを読んでいる過程で、色んなことを思い出した。体感覚派の人というのは、感じること、気付くことが、自分自身の感覚として伝わって来るのが遅い。それで、後から後から遅れて色んなことを感じて来て、あれもこれも腹立つ!ということで終わりが無い。

でも、その頃、相手はもう居なかったりするんだよね。

そして痛みに弱い。実は一番傷ついている。痛いから、ケガをした野生動物みたいになって自分がどんなに強いかを主張し続ける。二度と切られないように。(でも大概、先に切りつけてるのは、体感覚派の方で、中には、目をつぶったまま刃物振り回している人もいる。)

でも、まあ、自分が突然人にぶつかって、相手の持ち物が壊れてしまった時に『自分は幼い頃から苦労をして来て、色んなことを乗り越えて来て、そして今日も落ち込んでいて買い物に出かけただけだったんだ。そこであなたにぶつかって、あなたのものを壊してしまったというわけだよ。あと、それから、私は強いんだ。強いんだから、怒らせるなよ。怒らせると刃物を出すぞ・・・etc』なんて、延々説明する人はいないだろう。まずは、すみませんだろ?という話。

私自身も、時折、(例えば人命に関わることとか)、それだけは許せない!と思うようなことがあると、カーッとなって切れちゃうような人間なので、白熱している時の気持ちは分かる。でも、間違いは間違いなんだよねえ。ただの間違い。肉付けし過ぎなんだよ。もはや、何の話か分からないじゃん、それ。←これが人の悩みというものです。

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若い頃に読んだ村上龍のテニスボーイの憂鬱に、こんな一節があった。

ボクシングにおいては、敵は接触してくる。殴りかかり、抱きついてくる。お前は孤独だ、しかしお前は必要とされている、とボクシングの主張はこうだ。しかしテニスはより冷酷だ。相手は無関係な場所にボールを運ぼうとする。お前は必要ない、お前は消えてしまえ、相手のエースが決まる時、そんな声を聴かねばならないのである。

そこには、”ボクシングは甘えたスポーツだ”と書かれていた。そして、テニスは冷酷なスポーツだと。

私はボクシングも好きなので、決して甘えたスポーツとは思わないのだけど、当時、この例えは、一理あるなあと思った。

体感覚派は、寂しがり屋で、是非とも、いつまでも体感したい!と思う。

が、それが許されるのは、スポーツの世界だけ。

ましてや。

ブログだけ、noteだけ、SNSだけ。それだけの世界には、生身の人間は入らない。狭すぎるんだよ。

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