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ちょっとした心配と心配要らない法則

数日前、相方Kちゃんが腰をやった。

腰をやったという言葉は介護職員さんの間でよく使われる言葉なのだが俗にいうギックリ腰やマジな椎間板ヘルニア、単に筋を痛めただけとか状況は幅広い。

とにかく腰をやったという言葉は介護業界の中で頻繁に使われていて日常茶飯事。そんなわけだから誰もがたいしたことに思っていないのだが、是非ともまずは整形外科へ行けと鬼のように言う私が居るものだから、しぶしぶだけどとりあえずは受診してくれた。結果、骨には異常なく椎間板も大丈夫。単に筋肉を傷めただけとのことだった。痛み止めと胃薬は処方されたみたいだけど、

しかし、痛い者は痛い。治るには時間がかかる。

数年前の彼女は両手首を痛めていた。夜勤帯になるとたった一人で20人ほどの人々を起こしたり寝かせたり、はたまたオムツを換えたりと負担が大きいせいだった。小柄で細いこの女性は、技術を持っているので他の介護職の方々と比べると怪我をすることが少ない。スポーツをやっていたせいというのもあるだろう。この時の手首の痛みは長引いてはいたが、結局は治ってしまった。

ただ、今回の腰痛は巨漢の男性ばかりを一人でトランスするように仕向けたやつが居るので腹が立って仕方ない。
にも関わらず『あたしゃ負けないよ。どうせOhzaちゃんのご飯食べてれば何でも治るし。』と息巻いている。心配である。

***

しかし、先ほど『腰が痛いってことを打ち明けたらN君が残業を代わってくれたんだよ。早く帰れるよ。』とラインが来た。ありがとう!N君!もうー、忘れないぞ。

そのラインの後に『そう言えば今朝の地震、大丈夫だった?』というメッセージも来た。

そうそう、凄かった。ドドーン!と来てゆっさゆっさ!
思わず施設へ向かう準備をしてしまったほどだったが、すぐに治まったのでバッグを置いて着替え直した。

前々から『もしも離れ離れのときに何かあったら施設が集合場所な。』と言い合っている。近くに居たらもちろんこの限りではないけれど、最終的には落ち合ってとにかく施設へ向かい一人でも多くを・・・と。

今日の場合はKちゃんが施設に居るので簡単明瞭だった。まあ、もしも交通機関がストップすると徒歩で一時間五分かかる計算なのだけど。

とは言え、いざ相当のことが起こったら極めて微力であることは分かっている。
例えて言えば今回起こった大地震も離れている自分にはほとんど何もできやしないのだ。でも、もしも自分の手の届く範囲で何かが起こったら二人して必ず生き残ろう、そして一人でも多くを!と申し合わせている。

人というのは焦っても焦らなくとも、常に居るべき場所に居るのだと思う。例えそれが成り行きに見えても、単なる偶然に見えても。働いている人も働いていない人も、その時々、居るべき場所に居るものだと。

けれども。

自分のことを頑張りつつ、心の準備をしつつも、あらゆる場所にあらゆる事情で居る人たちに思う。今日、元気でありますように。

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