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感情の境界線

昨日も書いたのだけど、パートナーが腰痛で薬を飲んでいる。痛み止めを飲んでいる隙に段々治癒する運びなのだけど、まだ薬が切れると痛みが戻って来る。
私は人の痛みというものが辛い。誰でもそうなのかも知れないけれど大事な人が辛そうにしていると自分も辛い。

今の施設にはトランス用のボードが一つしかない。新しく入って来た職員は使い方を知っているのだけど、古き人々は敬遠する。技術がない人ほど力任せなのだ。
そんな風習の施設に勤めたからと言って自分も力任せにやる必要はないと思うのだが、急いでいると怪我をしやすいのだろう。

何だか落ち込んだ気持ちになった。私はこの施設の正社員になると言ったばかりにパートナーは追いかけて来て入職。そしてアッと言う間に主任になった。それは当然のことだと知る人は分かる。
でも、あまりに物を知らないと彼女の凄さが分からなくてこっぱずかしい意地悪ばかりをする。

申し訳ない気持ちだよ・・・という話を今日まじまじとしてしまった。こんな施設に呼んだ・・・わけじゃないけど呼んだようなものだ。そのせいで腰を痛めてしまって・・・メソメソメソメソ・・・と話したのだが。

『Ohzaちゃんは何でも自分のせいにする癖があるからねー。人が病気や寿命で死ぬのも自分のせい。私が怪我したのも自分のせい。』と話し出した彼女。

それからの口上は長かった。

彼女がここに来る前の高級有料老人ホームとうたっている場所に勤めていた時の物語を今日改めて聞かせてくれた。

脚が痺れて辛いと言っているのに整形外科にかからせて貰えない利用者さんが歩けなくなったり、お看取りだからと2か月後に息を引き取るまで点滴もせず食べさせもせず日干しになって亡くなっていた人のこと。
3人目は私も覚えている。下痢が止まらないことを訴え続けている利用者様のことだ。私は会ったこともないその人のことを『そりゃ膵臓じゃないの?そちらの看護師さんに言えば?』と言った。しかし、介護職員から言われたということがその看護師のプライドを傷つけたようで、ますます受診させてくれない状況になってしまったと。

後に、その方が亡くなってしまい、実は膵炎だったと分かったそうだ。

様々な利用者様のことを彼女はボロボロ涙を流しつつ語った。何億円も払って入った施設でその医療状況は酷い。でも、残念ながらこれはよくある話だ。
大手企業ではあるものの、医療や福祉とは畑違いの経営者が開設している施設は箱は立派だが、中身は世界残酷物語。しかしそれを誤魔化す術に秀でているらしい。接遇やイメージや体裁ばかりを重要視し、やっていることは残酷極まりない。

彼女は『あんな施設、どんなに立派でも嫌だ。でも、今はOhzaちゃんが居る。生きる人も看取る人も、皆幸せそうだ。わかる?どれだけ言えば分かる?』と、泣きながら語られた。

思わぬことで泣かせてしまい戸惑いながら、でもやって来たことを精一杯肯定してくれているのが伝わった。だから、あまり申し訳ない気持ちを持つことは止めよう。これからもやるべきことをやれるだけやって行こう。

そして例えパートナーと言えど、人の闘いに水を差すのは止めよう。

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