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願いごと

施設に勤め始めた頃、虐めにあっていた。

虐めっ子の大御所ナースさんには、良いところもあったのだが、それが分かるのは、もっと先の話だった。

ところで私は、可愛くない性質なので、矛盾したことを言われる度に『それは違いますね。』と、いちいち静かに突っ込み返していた。

すると『こいつはダメだ。他のやつにしよう。』と思ったらしく、ことごとく他の職員が当たり散らされていた。

それはそれで困る。矛先が変わっても険悪な空気は変わらないから。

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そのうち自分が管理職へあげられてしまったので、そこから先は、職場の空気すら自分の責任ということになるなと判断した。

そして、非常に失礼な噂を流されたことをきっかけに面談。何故、あなたは、そんな失礼なことを言うのですか?ということで。

すると、看護師であるというだけで偉い、そして、その場に長く居る方が偉いという変なセルフイメージを確立されていることが判明した。だから介護職員にもきつかったのか。

『え?違うの?』と言う大御所様。

えーと、何て言ったら良いのか。偉いのかも知れないけれど、言い換えればどんな仕事をしている人たちでも偉いんです。ましてや、今は他職種連携の時代です。介護職員の仕事を批判するなら、自分でやれって話ですよ。

実は、時代云々ではなく、元から人様に敬意を欠いた言動は慎むべきなのだが、話せば話すほど、純粋に、ただ分からなかっただけなんだなあということが分かって来た。

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さらに色んなことを話すうちに、この人が根っから意地悪なのでなく、本気で分からない上に、恐怖心があるからこそ色んな人をいびって来たのだということも分かった。若い頃苦労した人の中には、自分も若い人に苦労させなければならないと思い込んでいる人もいる。

もちろん間違いだ。

それをご理解していただいた後も、その古き習慣は、なかなか消えなかった。それどころか、余計にふてくされて荒れ放題な時期もあった。

しかし、この辺りが不思議なもので、ご利用者様や患者様、過去、色んな職場に居たボスたちとの間でも起こった現象だが、そんな人に限って、やがては他の人たち以上に親密になっていく。

毒舌も笑えるようになって来る。他の人へのそれも笑いでフォローできるようになって来る。

冒頭で、”良いところもあった”と書いた。

この方が、亡くなられた方のところへ挨拶に行った時に、深々と頭を下げ、手を握り『〇〇さん、お疲れさまでした。』と言う時の姿を見ると、よく泣きそうになってしまう。心が入っているからだ。『辛かったね。でも、もう我慢しないで楽してね。』と。

そして、ユーモアのセンスがあった。(まあ、ここは毒舌と表裏一体だけど。)

そんなある日、この大御所様が『ご相談です。』とやって来たのが約2年ほど前の話だ。

ステージⅢの癌になったという告白と、治療のための休職についてだった。

その時、彼女は『私は意地が悪いので罰があたりました。』と仰った。

私は”それは違いますね。”と、大昔、意地悪された新人時代と全く同じ口調で言った。

病気は誰でもなるものです。どこが病気になるか?いつなるか?というのが人それぞれ違うだけです。と。

『変わらないねえ。ぶれないねえ。』と、彼女は涙を流して笑った。

それから治療の経過についてとか、個人的なことなど、沢山の話をした。

その途中経過では、後期高齢者となり年金が貰えるようになって働かなくても良い身分になったという話も出た。

しかし『家に一人で居ると、どうしようもないことばかり考えだすんですよね。』と落ち込んだ様子でお話しされるので『それならば』と打診した。

『この職場には、ベテランさんとしてのあなたの力が必要です。もしよろしければ週3回ほど出勤しませんか?治療に差しさわりがなければの話ですが。』と。

この時、とても喜んで下さった。

今の職場は、辛いことも多いが、基本、笑いに満ちている。でも、今でもやっぱり喧嘩する。

***

ある秋の日に、私は東照宮の長い長い階段を上り続けていた。

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途中、何度か彼女のことを思った。価値観も年代も違う。看護観も違う。だから、これからも多分、沢山言い合いになるだろうなあ。

私は祈りつつ、お守りを買った。

彼女が病気に負けませんように。そして、私のような冷たい人間の口上にへこたれませんように。

好きな仕事をして、好きな仲間に囲まれて、幸せな人生を末永く過ごせますように。

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どうぞ、よろしくお願いします。

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