見出し画像

いじめられっ子だった私①


読んで誰が得するのか全く分からない、長い長い話です。

A子ちゃん

小学校1~2年、3~4年にかけて私はいじめられっ子だった。
その後社会人になった時も先輩からいじめにあったのだが、私の人格形成に深く関わっているのはこの小学校時代のいじめだと思う。
1~2年の時のいじめっ子、名前をA子ちゃんとしておく。

父の転勤

長らく転勤族だった我が家は、何度目かの転勤で両親の地元の県に戻ることになった。私が小学校入学直前の時期だった。
たかだか隣県への引っ越しだが、幼かった私にはまるで違う国に行くような思いで、もう二度と仲の良かった幼稚園の友達や、よく母と行ったお菓子屋さんや、優しい人ばかりだった社宅の皆がいる世界には戻れないのだと考えていた。
暗澹たる気持ちだった。
おまけに、新たな住まいである父の実家はテンプレ通りの田舎の古い家で、広くて暗くて汚くて隙間風が寒かった。それがなお一層私の気持ちを暗くさせた。

小学校生活が始まった。
誰も知っている人がいない環境に放り込まれた私は、同じ保育園や幼稚園の出身者同士で既に出来上がっているグループに中々入ることができなかった。
そんな時、話しかけてきてくれたのがA子ちゃんだった。
A子ちゃんも、お母さんの仕事の都合で他に同じ幼稚園の子がいなかったこと、新興住宅地と比較して子供が少ない古い集落の方に家がある子という共通点から親近感が湧いたのか次第に一緒にいることが増えた。

A子ちゃんからの意地悪

いつから、何がきっかけでA子ちゃんから辛く当たられるようになったのかは覚えていない。
A子ちゃんの意地悪は、子供らしい意地悪さと悪賢さからくる底意地の悪さが合わさったものだった。子供にはよくあるような、何でも無いことなのかもしれない。それでも気の弱い私は辛かった。

A子ちゃんはよく私の言動をいちいちあげつらって「なんでそうしたの?なんでなんで?」と私が泣くまでしつこく聞きまわったり、言葉に詰まって答えられないと「リカちゃんてあたまわるーい。」と周囲に言って回った。
私は算数がとても苦手だったのでそれもよく馬鹿にされた。

決められた道以外で帰ってはいけないのに、自分の家の方面から帰ることも強要された。断れずに、先生に見つからないかを心配しながら帰る私を見て楽しんでいた。
自分の家まで送らせて、スイミングがあるからもう帰らないといけないという私をギリギリまで引き留めて、間に合うか心配する様子を楽しむ節もあった。そういった部分に底意地の悪さを感じる。

基本的に意地悪は一対一だったが、時にはもう一人性格のキツイ子を巻き込んで、聞こえるように悪口を言われるのもよくやられた。
何故こんな感じでA子ちゃんから嫌な思いをさせられたのか分からない。
でも多分A子ちゃんにしてみれば、私は気が弱いから言い返してこないし、
頭悪いからストレス解消にいじめてやろう。ぐらいに思っていたのだと思う。

生活環境の変化による辛さ

生活環境の変化も辛さに拍車をかけた。両親の地元に戻ったことでクセの強い父方の祖父母との同居が始まったことが主な原因である。

父方の祖母はこの閉鎖的なド田舎において意地悪で有名だった。
もちろんその矛先は長男の嫁である母にも容赦なく向かい、母曰く随分陰湿ないじめをされたそうだ。
女学校から師範学校を出て教員をしていたことが何より自慢で、今でも我が家にはびこる学歴至上主義の価値観は、この人の影響が大きい。

祖父は意地悪ではないが、早くに実母を亡くしたボンボンで、誰も注意することができなかった結果ひどくわがままな人に育った。
癇癪持ちで、自分は悪気無く人の嫌がることを言うが人の言動が気に入らないと怒鳴り散らし、物に当たる人だった。
それでも、祖父にはそこそこ可愛がられた記憶がある。

結婚以来父の転勤に伴って転々としていた母も、この義理の両親と同居することになって物凄いストレスを抱えていたと思う。
子供のメンタルのサポートまでは全く手が回らない状態だった。父には、父も祖父と似たような性質なので相談する気も起きなかった。

私は、母が〇県時代と違っていつもイライラしていたり祖母からの言葉に傷ついていたりするのを感じて、A子ちゃんにいじめられているとはとても言い出せなかった。
〇県にいた時は幸せだった。〇県に帰りたいといつも思っていた。

祖母に、「どうしてA子ちゃんばかりうちに遊びにくるんや。厚かましい子や。たまにはA子ちゃん家で遊ぼうって言いなさい。」と言われるのも辛いことだった。
たまに祖母や祖父がA子ちゃんに直接「黙って入ってこないでちゃんと挨拶しなさい。」(これは祖父母が正しい)「たまにはA子ちゃん家で遊びなさい。」と言うと、後日仕返しの意地悪をされるのも辛かった。

大人になってから思うこと

何故か【他に友達を作る】という選択肢が当時の私には思い浮かばなかった。わざわざ自分からA子ちゃんを遊びに誘うこともあった。
今思うと何だかDVの共依存みたいな関係だったのだと感じる。
A子ちゃんなんて放っておいて、自分から他の子に話しかけてみればよかったな…庇ってくれる子もいたのに。

後日談だが、私をバカにしていた割にA子ちゃんは私と同じ大学である。
大学で偶然再会した時に開口一番「スポーツで入ったのぉ?(私はあるスポーツがそこそこ強かったのだ)」と嫌味を言うことを忘れない辺り、変わっていないなと思った。
もっとも、その頃には多少強くなっていたので「悔しいけど、それだけで入れるほど強くはなれなかったのよー。」と嫌味を言い返せるようにはなっていた。
A子ちゃんにはずっと見下されていると感じて生きてきた。
未だ独身であることなど、彼女の価値観からすれば見下す要素を持っているので今でも見下されていると思う。

さて、大人になった今、多少広がった視点で思うのはA子ちゃんて他に友達がいなかったのではないか。結構周りから嫌われていたのではないかということである。
学年が上がってクラスが分かれて私に違う世界が出来てもよく遊びに誘われた。先約を理由に断わると、一人で公園で遊んでいる姿を見かけた。
その他の場面でも、一緒にいるのを見たことがあるのはせいぜい前述の性格のキツイ子ぐらいで、それ以外の子と一緒にいるのを見たことがない。
ちなみに近年、A子ちゃんと同じ職場の知人に、A子ちゃんと同級生だったというと「●●さん(A子ちゃんの苗字)?あの人怖くない?私苦手だわ。」と言われたこともある。
ざまぁである。

狭い田舎なので、A子ちゃんが結婚して子供が生まれたことも知っている。
むしろ配偶者の顔まで知っている。
ふと、A子ちゃんが親になったことで、もし子供がかつての私のようにいじめられたら、いじめられる側の辛さも分かったりするのかな…などと考えることがある。

いやいや、無しだ。今の無し。子供に罪はない。子の不幸までは願わない。
何でこんなことでまで自己嫌悪で苦しまなければならないのか。
A子ちゃんとあの時同じクラスにならなければ、出会わなければこんな苦しみもなかったのに。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?