砂漠の国エジプトに「海の神」は存在した? - 古代エジプトの地理と歴史〜 「河江肖剰の古代エジプト」より
はじめに
みなさんはエジプトと言えば何をイメージしますか?
何となく砂漠しかないイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はエジプトは自然の生態系も含めてとても豊かな国なんです。今回はそうしたエジプトの地理について解説していきたいと思います。
今回の記事の内容はこちらの動画でも詳しく解説されていますので、興味を持たれた方はぜひご視聴ください。
古代エジプトにおける「上エジプト」と「下エジプト」
まず古代エジプトにおいて、エジプトは「上エジプト」と「下エジプト」という2国で形成されていると考えられていました。上エジプトは南側の地域で、「タ・シェマ」または「谷間の地」と呼ばれていました。なぜなら、この地域はナイル川に沿った渓谷地帯であり、肥沃な土地を生み出していたからです。
一方、下エジプトは北側のデルタ地帯を指し、「タ・メフ」または「湿地」を意味していました。デルタ地帯は亜麻やパピルスが豊富に生えており、一面その畑でナイル川が全く見えないほどでした。一時は絶滅の危機に瀕していましたが、現在は観光用にパピルスなどが栽培されることによって以前の姿を取り戻すことができました。
古代エジプトと海
この下エジプトのさらに北側に行くと地中海が広がっているのですが、古代エジプトの世界では海はあまり重視されませんでした。古代エジプトには様々な神がいましたが、実は海の神というものは基本的には存在していないのです。
地中海自体は「大いなる緑」や「ワジ・ウェル」と呼ばれ、その存在自体は認識されていましたが、海を神聖視する傾向は少なかったのです。例外的に悪神セトが荒れた海の神として認識されていましたが、基本的に海は異国との接触点や防波堤として認識されていました。
エジプトの南北を繋ぐナイル川とアスワンの地
北には地中海が広がっていることが分かりましたが、では南の方はどうなっているのでしょうか?南の方ではエジプトの南北を繋ぐナイル川にある特徴が見られます。南方のナイル川では、川幅が急に狭まることでいわゆるカタラクトと呼ばれるものができ、非常に船が運航しにくいような形になっているのです。その最初のカタラクトがあったのが、現在のアスワンところであり、古代エジプトの最南端の地になります。
現在このアスワン周辺には風情あるホテルが点在しています。中でも特筆すべきは、「ニュー・カタラクト・ホテル」そして「オールド・カタラクト・ホテル」で、後者はあのアガサ・クリスティの『ナイル殺人事件』の舞台ともなった場所です。とても雰囲気のあるホテルですので、機会があればぜひ訪れてみてください。
黄金の地ヌビアとアブ・シンベル大神殿
ではこのアスワンよりも更に南へ、ナイル川をさらに上流へと進むと、エジプトの領域を超えてヌビアと呼ばれる地域に至ります。ヌビアはエジプトの属国にあたる国でした。
ヌビアというのは古代エジプト語で「ネブ」という言葉、 黄金が由来だという俗説もありますが、実際ヌビアは黄金が採れる場所でもありました。それ以外の場所でいうと、古代エジプトでは東方砂漠や現在のスーダン北部といったところで黄金を採掘していました。
このヌビアの最南端には、かの有名なアブ・シンベル大神殿があります。この大神殿はラメセス2世という歴代の王の中でも最も偉大とも言われている建築王が造ったものです。ただしこの神殿は一時期アスワン・ハイ・ダムの建設により、この地域一帯が人工湖ナセル湖に沈む危険性がありました。そのためユネスコは約100億円程を投じて神殿を65メートル上の位置へと移築したのです。そのため昔とは違う場所にアブ・シンベル大神殿は建っているということになります。
さいごに
今回はエジプトの地理について、ほんの一部ですが紹介することができました。このようなエジプトの地形と人々、そして神々との関係によって、エジプトのその魅力的な文化と歴史は育まれていったのです。
今回の内容についてさらに詳しく知りたい方は、こちらの河江肖剰先生の動画「地理から学ぶ古代エジプト~砂漠の国に「海の神」は存在した?」をご覧ください。今回学んだ内容を、より深く理解することができるでしょう。
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