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52.ジャズでもブルーズでも演歌でもない、「八代亜紀」というジャンル

芸能人の方の亡くなり方には、ああ、そろそろかなという猶予期間がある方とそうではない方の二つのパターンがある(といっても、もちろん芸能人に限らずそうだが)。この方、八代亜紀氏の場合は後者であっただろう。そしてそれ故に報道側も未だにいわゆるこれぞ追悼番組、というものを作ることができていない。あまりにもその活動の幅が広いから、一言で彼女を総括できないからである。

「演歌の女王」という言い方をされた時代もあったが、それも一時のものである。もしも私が音楽番組のプロデューサーであったら、定期的に、というかなにか新しくかつ過去(伝統)ともつながることを、と思った時には間違いなく彼女を起用したであろう。「舟歌」や「雨の慕情」のようなヒット曲を持ってくることも可能だし(つまりは今聞いても全く色あせないというか新しくかっこよいし)、これから紹介するアルバムのように、ジャズ的要素を前面に持ってくることも可能であるし、さらには今はやりの歌手やアイドルやバンドやアニメともコラボさせることもできる(そして実際これらのすべてが実現している)。そう、彼女はまさに万能の歌手なのである。そしてそれ故に「八代亜紀」という一つの、というか唯一のブランドでありジャンルなのである。

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今回紹介するアルバム3枚は世間的には彼女のジャズ寄りの3枚、あるいは正規版というよりは企画盤としての彼女の”ジャズ”アルバムと評されるものであろう。しかしそうではない。これらは決していわゆる「ジャズ」でもないし、いわゆる企画盤でもない。かく言う私もジャズファンとして、彼女のジャズ要素を期待してこのアルバムを買った一人である。たしかに八代亜紀氏の声はジャズに合う。しかし、正直言って第一弾のアルバム「夜のアルバム」一曲目の「Fly me to the moon」と二曲目の「Cry Me a River」を聴いたときはピンとこなかった。いかにも、なジャズナンバーはむしろ彼女には合わないのである。しかし、その本領を発揮するのは3曲目の「Jonny Guiter」からである。これはもはやジャズではないし、いわゆる演歌でもない。あるいは逆に言えばジャズでもあるし演歌でもあるしブルーズでもある。そして続く4曲目の「五木の子守歌 うつしぎ」でそのどちらでもありどちらでもないという魅力にやられる(というかようやくここで八代亜紀という存在とその魅力を理解させられる)。さらに5曲目の「Summer time」でもやられるし、その後は続く2枚のアルバムも含め、もう、やられっぱなしである。

そう、もはやこれらのアルバムは、ジャズアルバムというよりも、日本という国とそのポピュラーミュージック(=流行歌)が、ジャズというジャンル、あるいはブルーズも含むジャズ的な要素を(というかブルーズもジャズの一ジャンルとして日本には入ってきたと言ってもいいであろう。ハワイアンもラテンもジャズとして日本には入ってきたのである)どうその音楽に取り入れてきたかの歴史、その集大成のアルバム、と言っても過言のないものである。八代亜紀という歌手はそれらの歌、日本の音楽がジャズ的要素を取り入れてきた歌を聴いて育ってきた(このあたりは、今の朝ドラ『ブギウギ』で描かれているとおりである。淡谷のり子はブルースの女王であり、笠置シズ子はブギの女王である)そしてそれを自ら歌って世に出てきた(彼女自身は自分の原点をクラブ(というよりは当時のいい方で「グランドキャバレー」と言った方がいいだろうか)所属のクラブ歌手の時代に置いている)。そしてそこからいわゆる芸能界へと出ていったわけだが、その原点はそれ以降もずっと続いている。そして、ある時期にそれはいわゆる「演歌」とフィットしたし、ある時期にはそれはいわゆる「歌謡曲」とフィットしたし、ある時期にはそれはいわゆる「フュージョン」(ジャズやロックも含む)とフィットした。彼女はその時代を常にトップのポジションで生き抜いてきたシンガーなのである。

その意味で、この3枚は彼女の出発点であり、通過点であり、到達点であると言えよう。八代亜紀という歌手を知らない人が出てくるであろう将来においても、このアルバムを聴きさえすれば、その凄さが伝わるはずである。今の我々がエラ・フィッツジェラルドを聴いてその凄さに驚嘆するように。





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