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アマゾンプライムお薦めビデオ③ 142:眉村ちあきという才能が形となった!映画『夢の音』と『眉村ちあきのすべて(仮)』

いまさらではあるが、眉村ちあきは天才である。才能の塊である。その天才の誕生に立ち会えた人、その時代、その瞬間をリアルタイムで体験できた人は幸せであるが、そうではない人も、今はサブスクという形でそれを、その時代、その瞬間を追体験できる。例えば私もさすがにビートルズをリアルタイムで経験した世代ではないが、いまでは、サブスクという形で映像や音源を通してそれを、その時を、その時代を追体験できるのである。

眉村ちあきがぐあっと世に出てきたのは2017年ぐらいであろう。アイドルを名乗りながらそう可愛いわけではない(失礼!しかし、それが魅力であり、それだからこそカワイイ!))。しかし、歌は超一流でしかも自分で曲を作ってミックスまでしているというのは、当時としては(というか今でも)衝撃であった。そしてなんとその年の年末には自身の会社である「会社じゃないもん」を設立してしまう。歌だけではなく、自分の活動すべてを自分でプロデュースしようというのである。そしてその活動は今でも続いているし、さらにさらにパワーアップしている。

映画『夢の音』はそんな彼女(勢いはあったがまだメジャーとは言い切れない頃の彼女)がオーディションで勝ち取った作品である。しかし、結果的には彼女ありきの映画となっている作品である。作中で彼女自身の手による歌が大きなポジションを占めているだけではなく、彼女のキャラクターがまさにこの役にマッチしている。この映画は決してアイドル映画を謳っている映画ではないが、結果的にはアイドル映画であると言って差し支えなかろう。しかし、今の時代、その「アイドル」という意味合いが昔とは異なっている。アイドルに必要なのは強い個性であることは今も昔も変わりはないが、今の時代のアイドルはその個性を自分自身でプロデュースできるし、その自己プロデュース能力も含めてのアイドルなのである。

一方、公開年度的には『夢の音』の翌年ではあるが、映画『眉村千秋のすべて(仮)』はまさに彼女の彼女による彼女のための映画である(というかわずか一年でこのポジションにまで達したこと自体が凄い!)。いや「映画」という言い方自体も正しくはないであろう。「映像作品」と言った方が正確かもしれない。タイトル通り、ここには彼女のすべて(あくまでこの時点での)が詰まっている。いわゆるフェイクドキュメンタリー的な手法を使っているが、それが「手法」であることは観る側もやる側も分かっている。フェイクドキュメンタリーがドキュメンタリーを利用したものであるのであれば、この映画(というか映像作品)はフェイクドキュメンタリーというものを利用した作品である。そしてそれは、十分に分かった上での「利用」、という手法は、彼女の音楽についても言えることである。彼女の音楽は言ってみれば彼女が愛する音楽を利用してそれを再構成して彼女なりのものとしているものなのだから。その意味では、彼女には彼女の個性というものはないとも言えるかもしれない。しかし、それこそがまた彼女の個性であり魅力となのである。眉村ちあきという「フィルター」を通して、いわゆる既存の音楽、どこかで聞いたことのある音楽がまた新しいものとして生まれ変わるのである。それは決して「コピー」ではないし「何かに似た何か」でもない。そこにこそ、つまりは「フィルター」という彼女の存在自体にこそ、オリジナリティが宿っているのである。

確かに彼女は何でもできる、どんな音楽ジャンルでもできるという意味ではいわゆる器用貧乏なのかもしれない。しかし、彼女、眉村ちあきという唯一無二のフィルターを通して出てきた音楽は紛れもない彼女のものであり、彼女ならではのものなのである(事実、『夢の音』でも描かれているように、同じメロディであっても歌詞を変えただけでそれは別のオリジナル作品としてこの世界に現れる)。その事実を確認するだけでも、今回紹介した2本は眉村ちあきファンではなくても必見の作品となっている。



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