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記録(といってもあくまで私の中の)更新!Alleles Project 1st ONE MAN LIVE 「THE ViRTUAL」

思い起こせば、このマガジンの第一号の記事は2022年2月26日に行われたキズナアイの活動休止前のラストライブ「Kizuna AI “hello, world 2022”」のレポートだった。当時もそのクオリティの高さを絶賛していたのだが、それから2年が過ぎ、キズナアイの遺伝子ともいえるAlleles Projectのメンバーたちはそれを超えるアバターライブを配信してくれた。技術的にはどこまでがいわゆるライブでどこからがポストプロダクション(後加工)なのかは、定かではないが、とくかく、一つの映像作品として最高の出来であった。一本の映画を見たような思いである。

名作『トイストーリー』以降、いわゆる手書きのアニメから、CGによるアニメが主流となっていったように、これからはアバターによるアニメがもしかしたら主流となっていくかもしれない。そしてそれはもはやアニメとは言えないであろう。アバターとは人間の動きをキャプチャ―しているのだから。

そもそも三次元のものを二次元で表現したものが映画に代表される映像作品であるとしたら、いわゆるアニメはその二次元自体の可能性を追求したものであった。しかしいまやそれが再び三次元の世界へと足を踏み入れていることになる。アニメにおいてカメラというものはあくまで絵(CGも含む)の外側にあるものであった。たとえCG作品であっても、カメラは絵=平面を記録するのである。しかし、いまやアバターもカメラもバーチャル空間という三次元空間の中に入り、そこからカメラはアバターたちを映している。これはいわゆる「実写」と何が違うのだろうか。何も違わない。いわゆる「セット」と呼ばれるスタジオ空間が、デジタルの空間に変わっただけである。そう、その意味でもアバターはけっして「絵」(二次元/平面)ではなく「人」(三次元/空間)なのである。役者が役を演じているように、そして映画において観客はその役とその役者を分けて考えることができないように(観客にとって役者は役自体として存在している)、アバターというものももはや単なるキャラクターではなく、一つの存在なのである。

今になって改めて思えば、アニメ「絆のアリル」は一種の実験というかテストであったと言えよう。「絆のアリル」はあくまでアニメ作品であった。恐らく本当にやりたかったのはそのような「アニメ」ではなく、アバターによる実写作品だったのだろう。「絆のアリル」においてはそれは、主に歌唱シーンにおいて部分的に取り入れられていたに過ぎなかった。しかし、この「Alleles Project 1st ONE MAN LIVE 「THE VIRTUAL」」では、それをとうとう全編をアバターによる実写作品として完成させた。しかも、いわゆるグループアイドル作品としてである。キズナアイは基本的に一人だった。カメラは基本的にキズナアイ一人を捉えていればよく、そしてそのカメラの前ではキズナアイも自由に動けた。しかし、グループであれば、メンバー同士のやり取りや歌唱におけるフォーメーションが求められる。技術的にどうやったのかは謎だが(それぞれの動きをキャプチャ―するには一人一台のカメラが必要で、しかも人の陰になって映らない部分が出てくれば、動きを完全に捉えきれないので)、この作品(敢えて「作品」と呼ばせてもらう)では、メンバー同士による完璧なフォーメーションダンスが披露されている。これができてしまえば、もう、技術的にできないものはないであろう。

今回は声優さんたちが体を張って頑張ってくれたようだが、もはやアバターには「中の人」という概念が通らなくなっている。「中の人」自身がアバターであり、同時に「アバター」自体が「中の人」なのである。そして「バーチャル」というのはそういう世界なのである。一般的にそう思われているようにいわゆるこの世界とは別のデジタルの世界があり、そこにこの世界の人間が飛び込んでいくのではない。デジタルの世界、バーチャルの世界に飛び込んでいった時点で、その人自身も、その世界に生きる、その世界での存在となるのである。それは確かに「もう一人の自分」かもしれない。しかし、同時にそれは「自分ではない自分」でもある。「もう一人の自分でもない自分」、そのような存在こそが「アバター」であるし、さらに言えば、そのような「もう一人の自分でもない自分」を人は「アバター」という形でいくつも持てるのである。いままでは「自分らしい自分」としてのアイデンティティを構築していくのが人の生き方とされてきた。「あなたは常に唯一の存在としてのあなた」であることが求められた。しかし、これからは違う。今や我々は、より大きな可能性へと開かれている。そのような生き方ができる時代になったのだから、その時代に合った存在論、アイデンティティ像というものが求められよう。

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