見出し画像

不妊治療を振り返る① 

2年半くらいの不妊治療を経て、
娘を授かることができ、
その娘は2歳8か月になりました。

今まで不妊治療については、
辛いことが多かった分、
振り返ることはしていなかったのだけど、
なんとなく、残しておきたな、と思うようになり、
それはやっと、向き合えるというような気分です。

「妊娠は勝ち取るものではない。もどかしくとも努力から報酬へまっすぐ線をひくことはできない。」

ミシェル・オバマ ”マイストーリー”

今、この文章を読むと、ぐっと胸を締め付けられます。

不妊治療している人の気持ちはそれぞれ。
分かり合えるとは思っていないし、
気持ちや経験に共感できる、
なんてとても言えません。

でも、この文章が、
ほんのちょっとでいいので、
誰かの力になったり、
参考になったら、うれしいな、と思って、
私がした経験とその時に
感じたことを書こうと思います。

私は幸い娘を授かることができました。
その立場から書いていることをご理解いただければ幸いです。


当時の私について

  • 2018年に不妊治療スタート。当時40歳。
    2回目の結婚、かつ遅めの結婚だったこともあり、子供はもう持てないのかも、そんな人生もありなのかな・・・
    この夫と二人でもきっと楽しい人生になるだろうな、
    と、どこかで思っていました。

  • 中小企業の管理職 仕事の両立は大変でしたが、女性が多い職場だったので、理解はかなり得られたのはとても恵まれていました。

  • 私はもともと健康でタフで、体力もありました。
    しかし、右の卵巣に大きなチョコレートのう胞があり、妊娠率の低下の要因になりえるので、不妊治療をする決め手にもなったのだと思います。
    あと、治療の初期におこなったAMH検査の結果が思ったよりも良くて、
    それが、勝手な自分の励みと自信になりました。

辛かったこと

不妊治療は多くの人が持つイメージとおり、辛いなあーと思うことばかりでした。

治療の色々な痛みがつらい
痛みに弱かった私は、ほぼ毎回行う血液検査すら涙を流していました。
顕微授精だったのですが、採卵の際は、毎回看護師さんの手を思いっきり握らせてもらったり、腕をおもいっきりつねったりして、痛みをこらえていました。。

さらに途中から開始した「自己注射」、
毎回なんでこんな痛く、怖い思いをしなくてはいけないの・・・・と
泣きながら打ったものです。
最初は、「自己注射だけは、恐怖過ぎて絶対に避けたい」、
と思っていたのですが、採卵できる数が少なかった私には必須でした・・・涙
ただ、私は極端に痛みに弱いので、、こんな状態でした。

お金のこと
私が治療していた時は、保険適用外だったため、自費での治療でした。
顕微授精だったため、採卵~移植にかかる費用は、毎回40万以上でした。
それに加え、検査にかかる費用やら、凍結の費用やら、湯水のように消え、完全にお金の感覚が麻痺していきました。

幸い、東京都の助成金、自治体からの助成金、医療費控除など、そういったサポートを得られたのは、とても助かりました。
それでも、リセットするたびに、
あの数十万のお金はなんだったのだろう、、、と考えるとかなり落ち込みました。

そんなときは、まいっか、、、そのうちできるかもしれないしなあーと深く考えないようにするとか、
この経験は無駄ではない!進むべくして進む道だったのだ!などと
前向きに考えるようにしていました。

ただ、「今回で治療はもう最後にしたほうがいいな、、、」と
思ったことがあったのですが、それはやはりお金の不安が大きくなってきた時でした。

「できるか、できないかわからないことに、こんなにお金べきなのか。早めに潔くやめたほうがいい。お金もほかのことに使ったほうがいい。」

結局それで最後にしようと思ったら時に、妊娠することができたのですが。

メンタル面のこと
不妊治療は、どんなに努力したり、何かを頑張ったからといって、望む結果が得られるものではありません。
ましてや私の年齢の場合は、
叶わない可能性のほうが断然高いので、
「いつまで続けるのだろう」、
「いつあきらめるのだろう」、
「いつか授かるのだろうか」、
ほぼ毎日そんなことを考えていたかもしれません。
リセットのたびに落ち込むのだけど、
「いや、少しでも可能性があるなら、トライすべき!」、
「まだ頑張ってみよう」と思ったりの繰り返しでした。

加えて、私は流産をしたのですが、
その経験は、今まで生きてきた中でも
1番辛い経験でした。

とにかくメンタルの沈みは多かったです。

不妊治療は、デリケートで、いまだ少しタブーのようなトピックなので、なかなか人には相談できない感じがしていました。
そもそも、私はもともと人に相談するタイプではなかったので、今思えば、あの悶々とした気分や、ズドーンと落ち込む感情を
よく一人で抱えて乗り越えてきたなって思います。

当時の私の中には、人に相談しても
「どうせわかってもらえない」とか、
「こんな大変なことに安易に、共感してもらいたくない」、
とか、そんなブラックな部分も多少はあったのかと思います。

また、メンタル面といえば、当時は管理職だったので、
「自分が休むことで穴を空けられない」、とか、「プライベートなことで職場に迷惑をかけるべきではない」
というような、勝手な強い思い込みがあり、
病院でも、採卵後に休んでいる間も、常に携帯とPCをチェックして、
いつでも連絡をとれる状況を作っていました。
そうすると、周りも私と連絡が取れると思い、
ガンガン仕事が入ってきてしまい、結局、肉体的に辛い中に仕事をするので、メンタルもまいってくる、いう感じになりました。 

私は、もともとメンタル面は割と強く、
少し落ち込んでも、立ち直りは早く、寝れば忘れる性格だったので、それは我ながら助かりました。(いや、そう生んでくれた親に感謝ですね)

今思えば、言いづらくても、つらいときは周りにどんどん頼ればよかったなとか、
もっと自分を大切にしてもよかったのかなあ、、とか思います。

終わってみれば、不妊治療での数多くの辛かった経験は、間違えなく、今の私を形成してくれていて、さらに私を強くしていったのだろうなって感じます。

また、辛い経験をしただけ、人の痛みを少しはわかるようになったり、繊細な経験をした分、人の気持ちにエンパシーをも持とうと意識したり、
人として、少しは成長していったかなと思います。

治療がうまくいった、いかないに関わず、
こういった辛い経験は、人生に彩りを加えるのだと思っています。

大切に感じたこと

家族と職場の人の理解とサポート
夫は、最初か最後まで不妊治療には協力的でした。
治療について、ぶつかったりしたことは一度もありませんでした。
私が「もうやめようかな」といった時も、
まずは私の心と体を心配してくれて尊重してくれる、
というような感じでした。

また両親も姉も、いつでも励ましてくれ、頼れる存在でした。
やはり家族っていいな、、と感じることができた経験でした。

職場でも、私の、急な休みや遅刻、早退、など
嫌な顔せずに受け入れてくれた環境も恵まれていました。
これがなかったら、続けらえませんでした。
周り人たちのサポートなしでは乗り越えられなかったことなので、
感謝の気持ちでいっぱいです。

医師との相性
私は、担当医の先生と相性がよかったことも、恵まれていました。
不妊治療という、未知で、繊細で、複雑な世界。
これは医師、病院との相性、関係は切っても切り離せません。
できるだけ、自分に合った先生を見つけることは大事で、私はそんな先生に出会えたのは、本当に良かったと思っています。

自宅近くの小さな専門病院でしたが、
辛いときは、先生に励まされ、
嬉しいときは、共に喜んでくれ、
心からコミュニケーションをとってくれる。
そんな頼れる父のような存在でした。

治療をやめようと思った時も、適切なアドバイスをくれ、その言葉をもとに、私は続ける決断をしました。
彼の一言がなかったら(いえ、存在がなかったら)間違えなく娘は誕生していませんでした。
感謝してもしきれないし、娘にとっては第二の父かと、、笑

仕事との両立
一般的に仕事との両立は、不妊治療の中でも大きな壁だと思います。
通院のスケジュールが読めず、急に「来週のこの日に来てください」、「明後日これます?」なんてことははざらにありました。

多いと月5~10回とか通院しなくてはいけなくなります。
加えて、常に病院は激込みで、待ち時間も数時間になります。
(それはそれで、私と同じ悩みを持っている人がこんなに沢山いるんだなあと、、心強い気持ちになりました。)

そんなこんなで、仕事の両立が大変なのは間違えないです。
だだ私はそれなりに恵まれてたほうでした。

まず、通院している病院が、職場と自宅から近く、
平日は、昼休みに検査を受けに抜けて、仕事後に、また検査結果を聞きに病院に行く、ことが可能だったので、これを繰り返していました。
その日の最後の患者さんになることも多かったのですが、
自宅から近いため、その後の帰宅も精神的にも肉体的にも楽にでした。

また、職場は、有給が取得しやすく、フレックスタイム制のため、
休んでも自分で取り戻せばいい、という感じでした。
病院で仕事をすることもありましたが、待合室では、同じような人も多くいらっしゃいました。
先生の話では、採卵のあとに、仕事に戻られる人もいるとのことで、
最初はびっくりしましたが、私もそんなふうになっていきました。
やっていくうちに、どんどんタフになっていくものですね笑。

正直、この職場の理解とこの環境がなかったら、治療を続けるのは難しかったのですが、
不妊治療と仕事の両立は、今後の社会の課題のひとつとも思えます。
治療が保険適用となり、治療へのハードルが少し下がったことと同時に社会からの注目も以前より高まったと思います。
それ自体はいい方向だと思います。
しかし、この両立がないと、女性のメンタル面の負担も大きくなり、
最悪キャリアを諦めることや、この環境なら仕事を辞めて治療に専念したいけど金銭的に治療もできなくなるので、辞める決断もできず、さらに苦しむなんていう、問題が生まれます。
ここはいつか経験者として、何か取り組めていけたらなあと思いました。

最後に。そして次回に続く

こうやって振り返ると、本当に大変でしたね。
育児も大変ですが、治療していた時期はもっともがいていたのかもしれません。

ただ、「どんな経験も無駄ではない」とよく言われるように、
この経験があったからこそ、出会えた人、得られた情報、感じた感情、人からの温かいサポート、それに対する感謝、自分の成長が山ほどあって、それに気づいていくことが大切で、気づけたら、この経験があってよかったなと思えるのだな、気づきました。

長い文章をお読みいただき、ありがとうございました!
次回は、コーチング的な要素を入れて、
私の数年たってから感じることと、その思いも含めて、
続きを書いてみたいなと思います。





この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?