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お面(着ぐるみ)と宗教学

ある哲学科宗教学専攻をしていたニンゲンが、実学としての宗教儀式、宗教体験に興味を持ち、結果的にお面(着ぐるみ)をかぶって生きている話。フランクに喋ってるけどアカデミックかも?

儀礼、儀式としてのお面

祭事、祭り事に用いられる伝統的なお面のことを指す。
祭事のお面はざーっくり2パターンがある。

1.選民タイプ
あるコミュニティ内で執り行われる祭事に特定の条件を満たす選ばれた人がお面を装着し、舞を踊ったり、街をねり歩いたりする。
選ばれた人は近所の〇〇さんなんだってーと皆知っているが、祭事の間は〇〇さんとして接するのではなく、面が模している、現している存在としての接し方をする。
お面、着ぐるみと言うとあら?となる人もいるかもだけど、なまはげ👹はこの部類。

2.全員参加タイプ
祭事に参加する条件として、参加者全員がお面を装着する。会場内ではお面を外すことは禁忌であり、またお面の下が何者かを詮索することも不粋である。
仮面舞踏会とか厨二病が大好きなやつはこの部類。イタリアのマスカレード🎭もこの部類。

どちらにも共通していること
祭事中は無礼講である。これはどちらかといえば、祭り自体の特性ですが、老若男女、身分地位を吹き飛ばした関係性で楽しむことが祭りの目的の一つ。
子どもを選出し神格化して祭り上げる祭事なんかは、とても分かりやすい例。

テーマパーク、キャラクターショーのお面(着ぐるみ)

容易く触れ合える場所といえば、この二か所である。
ここに宗教学なんてあるの?と言う方は、是非ともテーマパークに関する宗教学の論文の多さに驚いて欲しい。ちなみに書籍もたくさん出ています。
能登路雅子さんのディズニーランドという聖地とか、昔読みましたなぁ。

テーマパーク(聖地)へ赴くこと(参拝)
テーマパーク内で日常からかけ離れて楽しむこと
そして日常へ帰っていくこと
これは正しい意味での宗教の在り方(カルト教団のイメージが強すぎて、ここに対する認識が広がらないのは本当に悲しい)
日常であった辛いことや嫌なことを、ある特定の崇拝する対象やそれに準ずるものに打ち明けることで、解消、もしくは解決策を見出し、日常生活が豊かにおくれるようになる。ちゃんと日常、社会に戻すことが、本来の正しい姿ですよ?(人間関係を囲ってきたり、多額の寄付で苦しんだり、そう言うのはもうカルトに足を突っ込んでますから、もし心当たりがあるなら逃げましょう)

ここではテーマパークが宗教学的に研究対象なのよって話を詳しくしたいわけではないので、高速ざっくり説明でご理解賜りたいのですが、大体は俺の推し。最高。好き。会いに行く。この単純な行為により、ストレス発散してるのは、学術的には聖地巡礼、参拝の構図と同じなのよって事です。
推し活も、我をなくしたら、それはそれでダメですから。気をつけましょうね。

表題に話を戻します。
テーマパークの着ぐるみ、キャラクターショーのヒーローキャラは、とても親しみやすくアイコンチックに触れ合える存在です。
該当するテーマパーク、開催されるイベントに赴くだけで会うことができます。
どちらに関しても容易く会うことはできますが、テーマパーク、イベント内での存在であり、外で会うことはできません。つまり特異点(聖地)に赴く必要があり、また赴くにあたって、入場料や参加費(お布施)が必要な場合が殆どです。
個人的には好きならどんどん会いに行けって思うので、ご無理のない範囲内でお楽しみくださいと思います。

個人のお面(着ぐるみ)ってなんだ?

テーマパークやキャラクターショーの着ぐるみやお面は、存在意義が聖地と結びついているのでとても分かりやすいですが、そうはいかないのがこちらです。マジで。

1.コレクション目的
美術工芸品としての収集を目的としている楽しみ方。
飾って楽しむもよし、時々出してきて楽しむもよし。
実は私自身は、こちらの方が割合としては多いです。実はあのお面、お前が持ってたんかーーー!というのは、あるでしょうね。コレクションで購入したものは、公表しない主義なので。
私の場合はリビングにずらずらと並べて飾っています。板に挟んで固定するタイプのヘッドマネキンに乗せているので首塚(笑)
家族も知り得る趣味なので、隠すことなくズラッと並んでます。(一部例外あり)

2.装着目的
装着して楽しむことを目的としてる楽しみ方。
写真撮るもよし、イベント行くもよし。
SNSで私が出してる子たちは、コレですね。
飾っているより被ってみた方がシックリする…そんな子だけ被ります。
基本的にコレクションで初めから被るのを考えて買っていない為、被るのを前提とした購入については、あまりは私は知見がないので、体験談だったりお気持ちだったりを調査として聞き取りさせてもらえる機会があれば、とてもお話をお伺いしたいなと思う所存。

※誤解のない様に補足。
どちらについても感情的に好きの度合い、作品としての満足度は変わりないです。ただ鑑賞する上で、ニンゲンを通さない方がいいもの、通した方がいいもの、楽しみ方に違いがあるだけです。

お面(着ぐるみ)コレクションの目的

※これは個人意見。
研究対象として、自分の知的好奇心を満たすために興味を持っていますが、いつまでもお客様感覚の傍観者としての参加はつまらないと考え、実学としてお面の購入を決意する。同じ様な考えで、既にドールには手を出していたので、あくまでも主観で最高だと思う作品だけを手に入れる、この方針はそのままご縁を待つことにした。
出会ってしまったお面はほぼ購入しているので、作家作のワンオフ作品をゴロゴロともって…ますね。
アニメ作品モチーフのキャラクター面もありますし、伝統工芸品としてよく見るおかめや翁もあります、狐面も好きですし、マスケラも好きです、呪物としてのお面も好きなので、ホラーなものもあります。
興味があれば手に入れる、それであの日あの時すれ違ったちもさんの記憶からの( :]ミオーダーまで至るのです。
コレクションなので、割とビジネスライクに好きなものしか手に入れません。誰の作品でも良いとか、その人の作品でも何でも良いなんてことは一切ありません。かなりこだわりがあって、オーダーを受けてない作家さんにご迷惑承知でお問い合わせしてみたり、ヒッソリと素体を手に入れてカスタムしていたり、そんな感じで着々と増えていってます。
オーダー依頼して作ったとしても、被らない子は被らないです。コレクション目的7割の被るかもしれない3割、そんな按配です。
お前被れる人なんだから、うちのオーダーの子、被んなさいよ!なんてのは、やめてくださいませ〜

お面(着ぐるみ)装着の目的

※これは個人意見。
複数個持っている故の所感かもしれませんが、基本的にはコレクション目的で購入をしつつも、1度くらいは〜と好奇心でかぶってみます。
どんな見てくれになるのか気になるので、ほとんどの場合が洗面所の鏡の前でかぶってます(笑)

おー、おもしれー
めっちゃえぇねぇ
見えにくい〜(視野)
意外と見える〜(視野)
結構こもるな(呼吸)
割と重たいな
肩にくるなぁ

一般的ごく普通な感想がほぼ出ます。この感想に加えて、さてコイツは体があるべきか?と言う結論もここで出します。

うーん、飾った方がいいねぇ、体邪魔
これはちゃんと作品撮りしないとダメだわ

実は…今すごくかぶって遊んでる( :]ミちは、初めはこりゃ飾るしかダメだわ、全然オモチャ(誤解ないように言うとこの人はオモチャコレクターで飾るのを趣味としてる)だわと一度は観賞用に分類してました。
かぶって遊ぶには憑いてない、しっくりこなかったが本音です。たまに( :]ミと私の関係性が大喧嘩してるから、暫く被らないですって話をしてしまうのは、これ由来の話です。
ただまぁ小沢さんの作品は被って遊んでる人がとても多いから、被って特に深いこと考えずにエンジョイしてみっかなー?と言うのが当初のそれで、一年ほどはそれで遊んでました。自分的にある人には明かさない( :]ミちのコンセプト的な遊びはここの時は封印してました。(このnoteにあるニセの( :]ミ設定でも読んでおいてください)
これは私自身の思想的なものですが、モノに宿る何か、モノに憑く何かを私は信じています。またそいつらがこちらに介入してくる際は、なるべく仲良くしたいと思っています。
作品としてとても気に入っていましたし、自分の思うことを詰め込んで作っていただいたのはこの子が初めてだったので、不慣れなこともあって暫くしてみるとコンセプトとしてツメが甘いななんて箇所が出てきます。そのタイミングでちょっとした自分の不注意で耳とおでこに軽微な塗装被膜のハゲを発生させてしまい、小沢さんに土下座の修理願いとツメが甘かった箇所の修正のご依頼をします。
暫く( :]ミちとは離れて生活をしてみると、意外や意外で私はアレに結構振り回されてるなと気づきます。これは本当に私の意志か?とまで思う所があるくらいには、普段の私ならやらないなってことも含まれており、ひょっとしての無自覚存在か?とそこで( :]ミちに何かいる、何かあると意識することとなります。
修理と修正が終わって帰ってきた時にこれは実学のチャンスだ!なんかやるか!と無計画に自分マターな撮影案件に放り込みます。ここからが、私の写真の趣味に振り回される( :]ミちの姿となっていく訳です。
そもそも論で、あれは実在しないはずの存在が、どう言うわけか形を成して世界に介入してくる様と言う現象を込めている部分がありまして、宿った存在、憑いた存在も、まさにこのテーマに即していたんだなぁと。全くお前とは仲良くできる気がしないね!
かくれんぼの得意な存在がいるせいで、本人の思いみたいなものはコミュニケーションが取れそうにない。詰みだなと思いました。
出てこないやつと仲良くする方法は二つ、出てくるのを待つか、出てこさせるか。私は後者です。
鳴かぬなら鳴かせてみせようハトポッポ🐦
今のところ、私の( :]ミちの中身を出してこよう作戦は成功してません。でもこれはイイね!みたいなことは後からヒョッコリ言ってくる感じはします。
どうせ悪鬼の類かなんかだろうとは思いますけど、こう言ういたずら心なのか、引っ込み思案なのかと言う精霊的存在とのお遊びは嫌いじゃないので、これからも楽しみたいです。

そう言えば、あなたは被るお面、もう一つありますよね?
はい、この話もしましょう。
( :]ミちが分かりにくい何かであるのなら、無二はとても分かりやすいです。逆に言うと分かりやすいものを迎え入れるべく、こう言うモノですよと箱(お面)に対して設定を肉付けていき、そう言うものにしていった感じです。
自然に任せて受肉させた( :]ミちとは異なり、骨を肉をと盛り付けて意図的に受肉させています。
そう言うやり方のせいかニンゲンには快い印象は持っていなさそうな存在に仕上がっています。絶対悪いヤツ。
自然に任せて遊んでいくと言う方針は全く合わないので、こちらに関しては作品昇華させる場合はかなりコンセプトを詰めて、決め込んでからしか何かをしたいとは思いません。何をやろうかな?と言うことは常に考えていて、その最適解が出た瞬間に動くと思いますので、こっちの作風が好きな人はお待ちくださいとしか言えない。
自分の案を出すやり方としても、この2人はかなり違って同時進行でやるのはかなり疲弊しちゃうので、お時間くださいなと。
無二はなんかもうね、被る前から被ること前提でしか考えられないし、存在の美しいモノしか思えなかったんですわ。割とシンプルにそれしかないから、難しいところもある。
いつも言うけど、( :]ミちと無二は正反対の存在で、存在しないナニかと、存在しているけど破滅に向かいたいナニかなので、2人が交わることはないです。私の中でもきっちり棲み分けされてます。ぶっちゃけ所有するお面でちゃんと設定を持っているものは、みんな並行世界で交わらない存在です。私の中の着ぐるみファンタジー法により決められてます。違反は重罪。
多神教のお国で育ってますし、万の神の国ニッポンですし、かなり世俗化の影響も受けてる自覚はありますので、フランクに霊的なモノ、憑きモノとは遊びたいと言う意味で、お面と言うのは本当にいいスイッチだなと思います。

実学としてお面(着ぐるみ)を通してわかる宗教観

1.トランス状態という体験
身体的拘束によりもたらされる感覚としてのトランスについては、ここでは語らずとします。(理解はできますし、その解釈で読み進めても、ここはあまり差異がないです)
言い方はあまり好きじゃないですが、お面(着ぐるみ)をかぶっている自分は、自分であって自分ではないんですよね。
触れ合う方もやはり人間としての私ではなく、そちらの顔の方で考えて接しているので、おままごとではないですが、ごっこ遊びが見事に成立してるなと思います。
その上で顔の存在、お面の存在に成り切ると言う体験は、まさにトランスだなと思います。
(ここをフェチ的に言うのであれば、制限された視界での行動と同様に制限された呼吸での行動、抑圧されたマゾヒズムにもたらされる被虐的興奮感とでもいいましょうかね?)
実学としてやってみないと絶対わからないものだったと思いますし、これはやってみて良かったことの一つです。
面白いぞ、これ。

2.ニンゲンを辞める体験
トランス状態について、突き詰めて話をするとコレです。
祭事のお面が神おろしをする存在なら、個人の趣味のお面はニンゲンを追い出す存在、ニンゲンを辞める手段に思えます。
私ってニンゲン辞めてみたかったんだなって、新たなる自分の側面を見つけることができたのはとてもいい体験。
着ぐるみファンタジー法違反ですが、中身が表情筋豊か族なので、表情が変わらないっていう虚無感がずっと新鮮で、感情の伝達について瞳がどのくらいの要素を持つかとか、唇がどのくらいの要素を持つかとか、そう言う新しい興味に繋がった。
ニンゲンでやるとアタオカと怒られることが許されるのが、今の私的には最高に楽しい。(山盛りのメガネ並べたり、風呂をフルーツポンチにしたり)

3.理解できない考え方
残念ながら、これはある。
自分の知的好奇心が満たされれば、他には興味が全くないので、他人からの評価や良く見られたいと言う現状改善や変身願望としてのお面、着ぐるみは、よく分からない。
理屈はわかるんだけど、自分にはその感情はわかなかった。
欲望(タブー)を解き放つと言う解釈項から切り取ってみると、すごく興味はあるんだけど、実学として体験としては得られなかったモノなので、これは調査をしないとダメだと思う。
これは仮説だけど、日常を脱却する装置としてお面、着ぐるみをかぶり、他者と楽しく過ごすことにより、日常の悩みや不満を昇華できるのであれば、1人神様、1人聖地、1人巡礼なのでは?なんて思う。もしそう言う原理なのであれば、これは素晴らしいなと思うので、体験できそうにない自分はちょっと…かなり悔しいです。

長くなりすぎたので、今回はここまでにします。
また語りたくなったら2でも書きます。

ヘッダー写真 マッキーさん
この写真を見た時に真っ先に異邦人が流れてきて、まさに( :]ミのテーマソングの一つなので、私はニヤニヤしてました。異邦人じゃなくて、異( :]ミ人です!

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