執着心はお近くのクズカゴに

どーも、頭を使うことが減ってきている人です。

というわけで、子供の頃なんかは入ってもしないのに自動販売機のお釣り入れを毎日友達とチェックし、プールの更衣室にある100円戻ってくるロッカーは残っていないか毎回チェックしていた守銭奴おれ。

一度の成功体験を忘れられず、二度目もあるんじゃないかと思ってしまう浅ましい心は小学校を卒業するまで持っていたように思う。
または、とんでもなく悪い友達とツルんでいたと思われる。(責任転嫁)

がしかし、中高では離れたところでチャリンと鳴れば「お、お金の音!?」「お、おれの!?」と反応してしまう悲しいスキルを身に付けてしまっていた。
もはや、びんぼっちゃまである。

超反応で鳴った方向に耳を向けてしまうが、少しは大人になっているので、音がした方向に向かうまではしない。
大抵は落とした人が、やっちまったと拾っている姿を見て「ウンウン気付けて良かったね」と思ってもいないことを演出することで、「自分浅ましくありません」を全身で言い訳していたに過ぎない。

先日のことである。
いつもの道を俯きながら歩いていると102円が落ちていた。
100円玉1枚と1円玉2枚である。

硬貨はソロで落ちていることが多いような印象があるが何故にグループで落ちているのか。
落とした人がサイフごとばら撒いて拾い忘れたのかもしれないが、気付かないほど離れているならまだしも、「102円です」と一瞥で試算できるほどの塊をなしていて、これに気付かない奴はいない。
いたらアホか視力がよくないか脱税かのいずれかである。

もはや、この様子を近くで見ていて、拾った瞬間に「あなた今拾いましたよねーそれ自分の金なんすけどー」と迷惑系住人が突撃かましてくるんじゃねーかとも思われる。
トラップだと思うくらい違和感がすんごいのである。

そしておれが導き出した答えは"スルー"である。
102円拾ったところでジュースも買えないし、交番に届けるほどヒマではない。
さらに102円くらいなら自由に使えるほどのお賃金はいただいているため、怪しい102円に手をかけて、迷惑系住人の通報により交番に連行されるリスクを選ぶはずもない。
そう、おれは子供の頃のお金への執着心から脱したと言える。

また、ある夜、飲んだ帰りにヘラヘラと帰っていたら1000円札が落ちていた。
硬貨が落ちていることはあっても、紙幣が落ちているのは初めて見た。
掃き溜めの中のツルのように、落ち葉でガッサガッサの夜道にそこだけ光が刺すように輝いて見えたものである。

紙幣なんて風がありゃ吹き飛ぶし、他の人にみつかれば「よっしゃラッキー」とネコババしてしまうだろう。
しかし、酔っ払ってヘラヘラしていたおれは「この1000円札を失くして困っている人がいるに違いない。よっしゃ、おれが一肌脱いでやるわ!」とわざわざ遠くの交番に行き、お巡りさんに1000円札落ちてましたよーと届けに行った。
おっさん版「君に届け」である。

おそらくシラフであればこれまたスルーしていたかもしれないし、酔っ払って気が大きくなっていたおれの特異な行動で、おそらくこんな奇跡は未来永劫ない。
がしかし、失くした人を思ってと言っている癖に、ちゃっかりと自分の名前と住所を書き、失くした人が現れなかったらもらいたいですの意思表示をしっかりとしてきた。
ここら辺の抜け目の無さは、風早くんにはないところであり、おれがカワイソウな人である一因でもある。

結局、その遺失申請期間がいつまでなのかもわからんし、もらいたいですの控えもどこかに行ってしまい、1000円札をいただきに参上することはなかった。
もはや、ここで披露できるネタとなったので1102円以上の価値をいただいた。

なので、お金を見つけたらみんな交番に届けましょうという話です。

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