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【鉄は熱いうちに打て】(新釈ことわざ辞典)記事版;オスマン帝国《イエニチェリ》のことなど

暴力教師やパワハラ上司の自己弁護。

このことわざには二つの意味があるそうです。
A. 精神が柔軟で、吸収する力のある若いうちに鍛えるべきである。
B. 物事は、関係者の熱意がある間に事を運ばないと、あとでは問題にされなくなる。

意味Bは特に問題はない。まあ、そうでしょうね。当たり前すぎて、なぜわざわざ諺に?と思うくらい。

問題は意味Aです 。部活担当の暴力教師や新入社員を指導するパワハラ上司はこのことわざを引用して自己正当化するかもしれない。
しかも、それは、ある意味、そのとおりなのだ ── 鍛えるには若い方が効果的 ── 指導される側の人権などを考慮に入れなければ。

言い換えれば、
A’. 人間を《洗脳》するには、若ければ若いほど(おそらく、10歳から18歳ぐらいが?)効果的である。

暴力教師もパワハラ上司も、
「自分の行為は正しい/本人の成長のため」
と言いつつ/信じつつ、実際は基本的に快感を求めて暴力や暴言を使います。
それらはもちろん問題ですが、もっと怖いのは、個人ではなく、権力が組織的に(例えば政策として)この手段を取る場合です。

オスマン帝国は小アジア(アナトリア)で興ったトルコ系の部族国家が周辺の国々を倒して東欧・西アジア・北アフリカに渡る巨大国家となったものですが、その過程で ── 特に東欧への進出にあたり ── A’を使っています。

それは、《イエニチェリ》と呼ばれる、君主直属の歩兵部隊です。
当初は戦闘相手であるキリスト教徒の捕虜による奴隷部隊でしたが、征服した領内のキリスト教徒から優秀な青少年を強制徴収し、イスラム教に改宗させた上で教育・訓練するという採用方式が15世紀に考案されます。

《イエニチェリ》の強さについては、『コンスタンティノープルの陥落』など塩野七生さんのオスマン関連著作にも描かれますが、とにかく少年時代に親から離され、心身共に鍛えられていますから(……特に『心』の方?)、強い規律を持ち、オスマン帝国の軍事的拡大に大いに貢献したそうです。
そして、その後のオスマン帝国軍の弱体化は、このシステムが形骸化し、もともとイスラム教徒だったトルコ人が採用されたり、(本来、大きな報酬と引き換えに妻帯禁止だったはずなのに)世襲制になったからと言われています。

あまり考えたくないですが、ロシアがウクライナから子供を組織的に連れ去るのも、これに倣っているのではないか、と懸念します。
何せ、あの国は(帝政時代ですが)トルコと16世紀から10回以上に渡り戦っており(露土戦争)、少なくともその初期は《イエニチェリ》の強さと鉄の規律を経験したでしょうから。

権力者が同じ民族の若者を組織的に洗脳する、ということでは、ドイツの《ヒトラーユーゲント》(国民社会主義ドイツ労働者党内の党青少年教化組織)と、中国文革期の《紅衛兵》が挙げられます。

《ヒトラーユーゲント》には、1936年の法律により、10歳から18歳の青少年全員の加入が義務づけられたそうです。

当初はキャンプやハイキングといった、ボーイスカウト運動と同様の活動であった。しかし、時間の経過に伴い、その内容と意図は変化した。たとえば、武器の訓練、基本的な戦術の学習など、多くの活動は青年教育よりも軍事教練に重点が置かれた。これは、ナチス・ドイツのために兵士として忠実に戦うという意識を刷り込む目的で実施され、ナチスの掲げる理想のための犠牲を惜しまないという思想も含まれていた。

Wikipedia『ヒトラーユーゲント』

《紅衛兵》は、やや事情が異なり、大躍進運動などの政策失敗によって実権を失っていた毛沢東が奪権を目指し文化大革命を計画した時、清華大学附属中学の学生たちがこの動きを支持するために組織した、ということなので、出発点はボトムアップ的だったのかもしれません。
しかし、権力(=毛沢東)が支持を表明し、党も公認したことで紅衛兵運動は全国に拡大し、暴走します。

紅衛兵は、1966年から1968年にかけて実権派打倒に猛威を振るい、文化大革命期間中に出た死亡者、行方不明者(数百万人とも数千万人ともいわれる)の一部の虐殺に加担したとも言われている。

Wikipedia『紅衛兵』

極端な例をいくつか出しましたが、若者を集め、共通の目的遂行のために教育・訓練を施す組織は、合法・非合法含め、実はたくさんあるます。
その中にはかなり長きに渡り続いているものもあります。
なぜsustainable継続可能なのか? それは ──
① 楽しむことができる
② 報酬がある
の2条件ではないでしょうか?

昨年大いに話題になった宗教2世の子供時代の話 ── 『洗脳』もよほど徹底的にやらないと①は難しいし、②に至っては悲惨です ── とてもsustainableではない。

── ということから見ても、もし、①②を満足できないのに若い世代を相手に宗教活動を行っている団体があるとすれば、それは、sustainableでなくても良い、と考えているのではないでしょうか?

── つまり、使い捨てで良い、と。

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