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自由を噛みしめる自由だ

気づいたらゴールデンウィークが始まってた。

この「気づいたら」が、幸せだな、自由だなと実感する。

結婚以来つい数年前まで、GWどころか毎週末が憂鬱だった。

夫の実家は、車で1時間余りのところにある。
別居だけれど週末は義父母の都合に合わせるのが当然だったし、夫も親には都合が悪いとは言わなかった。
言えなかった…かな?

ちょっとあんた、私と親とどっち優先なのよ!
と今ならグイグイ言うんだけど、あ、当時も言ってたけどな…。

結局毎週のように義父母はうちに来た。

そうでなければ私たちが行かなくてはならなかった。

あれは何だったんだ。

私は娘や息子が大好きだけど、毎週一緒に過ごしたいとは思わない。
月イチくらいで充分だ。

毎週木曜か金曜の夜に、家の電話が鳴る。

もちろん夫はいないから私が出る。

「わしじゃが」という義父の暗い声を聞くと、一気にこちらも暗い気持ちになった。

義父「K(夫)は帰ったか」
私「いや、まだ…」
義父「なに!いつもこんな遅いんか!」
私「……」

義父「子どもらは飯食ったか」
私「はぁ」
義父「毎日喜んで学校行っとるか」
私「えぇ、まぁ」

判で押したような会話を毎週繰り返す。
週末どころか、木曜の夜が憂鬱だった。

義父が「今週は何か予定があるんか?」と聞く。

私は予定がなくても「うん、ちょっと…」と都合が悪そうに言い、実際夫が仕事で不在のことは多かった。

結局義父母は来る。

あれは何だったんだ。

こんなことを思い出したのは、今朝目が覚めると、外で音がしたような気がして、一瞬、義父母か?と思ったからだった。

都合が悪いと言った週末に、「お前らだけ出かければいいから」と早朝から、本当に早朝の6時に家に来て、外の草取りをして(くださって)いたなんてこともあった。

アポなし訪問も、来られてしまえば予定を変更するしかなく、ギクシャクする元はたいていそれだった。

あれは何だったんだ。

がんじがらめの30年が過ぎ、気づいたら自由になっていた。

一緒に過ごすことを強いられなければ、こちらも何かしようかという思いがわいてくる。

昨日はまた筍ご飯を炊いた。

今日は夫が義母のところへ持って行くか、私も一緒に行ってもいい。

どっちでもいい。

自分で決められるって、自由なのだ。

あの加圧トレーニングのような年月は、私に何をもたらしてくれたのだろう。

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