1年という単位

1年という月日は、人を変えるのに十分な単位である、とふと思う。

個人的な話をすれば、1年前とは、住む場所が違う。仕事が違う、働き方が違う、プライベートのライフスタイルも違う。そしてそれらが異なれば、当然いつも接しているコミュニティが違う。日頃の人間関係が違う。

そうして周りの環境が変わると、人は変わるのだ。

いや、いきなり自分の書いたことを否定するが、正確に言うと、人そのものが突然別人のように変わるわけではない。変わるのは、その人の心の持ちようであったり、世界や社会をどのように見ることができるかという自分フィルターのようなものの色であったりする。

それらが変わると、その人の、世界や社会との接し方が変わる。そういう意味において「人は変わる」という言い方をしていると、ここでは捉えていただけると嬉しい。

「そう簡単に人は変わらないよ」と人は言う。それはある意味で納得できて、たぶんその人は同じ環境に居続けているのではないか、と思う。同じ環境でいかに意識をしていても、心の持ちようや自分フィルターの色を変えるのはとても困難だ。

「環境に流されず、自分の軸を持て」というのは簡単だけれど、それは容易なことではない。人は環境に流されるようにできている。なぜなら、人は環境に適応して生きていけるようにできているのだ。そうやって人類は進化なり、退化なりをしてきたのではないか。

よほど強靭な意志を持ち、それを実行できる人もゼロではないだろう。ただ、凡人にはそれは難しい。少なくとも私は、環境に流される。でも、それでいいのだ。

逆をとれば、環境さえがらりと変えれば、自分の世界の見方も変えることができるということ。すごく、シンプルだ。

例えば今、ものすごくつらかったり、本当にもう何もかもがイヤだ、投げ出したい、先が見えない、つらいつらい、ああ、どうしたら……!!という状態にあったとしても、今から環境を180度がらりと大きく変えれば、1年後にはまったく別の心持ちで満ち足りた暮らしを送っている可能性は、十分にあるのだ。私自身もそうだったから、これは自信を持って言える。

今の現状に不満があるのなら、身をおく環境を変えてみたらいい。別に押しつけるつもりはまったくないけれど、本当に、環境を変えると、人は変わるのだ。こればかりは、やってみた人にしかわからない。

ただ、おそるおそるでは効果がわかりづらい。せっかく舵をきるなら、思いきり。


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