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気候と思考の深度はやっぱり関係している気がする【南の島で暮らして感じたこと】

ここのところ12月にしてはずいぶんと暖かい、というかむしろ日向では暑いくらいの日々が続いていた。今日は久しぶりに気温が下がり、冬らしい空気になったと感じる。

夜になってさらに冷え込んだ空気のなか、帰路につく。しん、と冷たく澄んだ静かな空気の中を歩いていると、自然と脳内にいろんな考えごとが生まれて、ぱらぱらと言葉たちがあらわれては、余韻をもって消えてゆく。

私の場合、たいていそうやって思考が深まる感覚に陥るのは寒い季節だ。

「ああ、寒いと人は考えるのだな」と心から思い知ったのは今から5年ほど前のこと。ある南の島で数カ月間暮らしていたときだ。

当時の私は、東京で3年ほど働いた会社を辞め、語学留学ということでその南の島へやってきていた。もちろんリゾートではなくて、ローカルの市場で野菜を買ったり、窓のないバスに乗ったり、片道40分ほど歩いて通学したりしながら汗だくになって暮らしていた。

最初の数カ月は現地の一般家庭にホームステイをしていたので、家にはインターネット環境もなかった。たまに学校帰りに立ち寄るネットカフェで、なつかしい厚みのあるPCたちに向き合い(しょっちゅう停電したりもしながら)、日本の家族や友人たちとコンタクトをとる。

あるとき、ふとしたきっかけで、学生のころから社会人数年目までほそぼそと書いていた自分の日記ブログを久しぶりに見る、という機会があった。

そこで改めて自分の過去の文章を見て受けた第一印象は、

「く、く、く、暗い……!!!」

そして、「なんで私、こんなに考えてばかりいたんだろう。考え過ぎじゃない?」だった。我ながら、「いや〜、よくもまぁこんないろいろ考えてたね、この人!」くらいのノリである。

たぶんきっと、いわゆる社会人というものになっての数年間の私は、これまたいわゆる「3年間はここで力をつけてがんばるんだ」的な状態にあり、ああでもないこうでもない、つらいけど私がんばるんだもん的な感じだったのだと思うのだ。まあだから余計、変に人生哲学をわかったように語りたい時期でもあり、輪をかけて当時の文章はなかなか見れたものじゃなかったのかもしれない。

しかし。その同一人物である自分が、南の島へ来てからというものの、深く思考したり悩んだりするということをほとんどしていない、いやむしろできなくなっているということに、かつての自分が日本で書いていた文章を読んで、初めて気づいた。

なにせ、赤道直下の南の島なのだ。

まず第一に、暑いのだ。毎日歩いているだけでも体力を奪われるから、なるべく省エネモードでいたい。

そして第二に、この国ではたぶん、働かなくても生きていける。

まず、働くというのは極論、衣食住のためだとする。寒い国では、家や服がないと寒くて凍死の危険性すらあるし、食べものの育たない冬に備えていろいろと準備する必要がある。

一方で私がいた南の島では、野生のパパイヤやマンゴー、ココナッツ、タロイモやキャッサバなどがいろんなところに普通に生えている。市場で買うにしても本当に安い。島国だから、一応魚もとれる。お金がゼロになっても、なんとか生きていける。そして仮に家や服がなくても、とりあえず常夏なので凍死はしない。働かなくても、どうにかなりそうだ。

というわけで、働くモチベーションが総じて低い。

もちろんこれは極論なので、だから全員が働いていない、というわけではない。きちんとした家に住んで街の暮らしをしようと思ったらやはりお金がいるから、働いている人もそれなりに多い。

とにかくここで言いたかったことは、その地の気候が、人の思考の深さに大きく影響を与えると感じたということだ。働いて貯蓄をするという思考は、明日を憂う、将来のことを憂うという思考、つまり人生のことを考える思考につながっていると思うのだ。

(ちなみに、後から人に聞いたところによると、暑い国よりも寒い国で文明が発展してきたという歴史的な経緯もやっぱりあるそうだ。当時はそこまで知らなかったけれど)

というわけで、南の島の国での暮らしは、いろいろな意味で本当にいい経験になったけれど、私は最後に、やっぱり暮らすのならば「四季のはっきりとしたところがいい」と思ったのだった。

“ずーっと夏”の国は、確かにハッピーで毎日楽しく生きられるかもしれないけれど、読書や文章を書くことが好きで、ときにはちょっと物思いにもふけってみたい自分にはやっぱり、秋と冬もある方がいい。

そして穏やかな春がきて、夏で開放されて、秋から冬に向かって思考が深まってゆく、この感じ。

桜を見て桜餅を食べて、花火を見てスイカを食べて、紅葉を見て栗ごはんやサンマを食べて、雪を見てみかんを食べて。

「ああ、またこの季節がきたのかぁ」とまた、もの思いにふけることができるのも、四季があってこそなのだ。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。