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むすめ2歳の入院日記(4)手術翌日

8/29(木)

未明、ピカッと光る雷が一瞬、部屋の中を真っ白に照らして目が覚める。ごうごうと降りつづく大雨の音と、その後も繰り返しピカッ、ピカッと光る雷。漠然と不安感をあおられる。

暗闇の中で目が冴え、PICUにいる娘が何事もなく無事に過ごせていますようにと願う。スマホを見る。大丈夫、緊急連絡は今のところ入っていない。横のベッドには大雨と雷にも動じずにぐっすりと眠る夫。そのハートうらやましい。

朝起きて、マクドナルド・ハウスの共用スペースで、フルグラとバナナの朝食。共用のWiFiがうまくつながらないため、夫と車で近くのショッピングセンターへ出て、カフェでそれぞれPC作業。24時間付き添い体制の一般病棟とは異なり、PICUやHCUの面会時間は13時〜15時と決まっている。

12:30ごろ、面会へ向けて病院へ車で移動。ショッピングセンターの中を漂う日常の空気から、徐々に静かな病室へと向かう気持ちを準備してゆく。PICUやHCUの面会時間が制限されているのは、もちろん衛生面や安全面、ケアに集中するためという意味が一番強いとは思うけれど、副次的には、親の気力や体力をコントロールさせるためというのもあるのかもしれないなと思う。

もし面会時間に制限がなかったら、親としてはずっとそばに付いていようと思うかもしれない。でも実際は、そばにいても、医療従事者ではない自分にできることは本当に少ない。たくさんの管につながれて傷口も生々しく、安全上の理由から固定されていたりして、抱っこもできない。その痛々しい姿を見ながら自分の無力さを痛感し、子の気持ちに思いを馳せる。1日中それにだけ向き合っていたら、無意識のうちにかなり気持ちがまいってしまうと思う。付き添い家族として長い看病生活をのりきるためには、メンタルのコントロールも重要な気がする。そんな話を、移動中の車の中でしていた。

13:00、PICUのインターホンを鳴らして面会へ。

今日も寝ているだろうか。もしくは起きているのだろうか。「心臓手術後1日目」のイメージが自分の中になくて、どこに気持ちを準備したらいいのかわからない。絵本を読み聞かせよう!とやる気満々で行って、まだ全然それどころではないような状態だったらまたショックを受けるだろう。まだ身動きもとれないだろうし、ぼうっと元気がないようすを想像しておいたほうが、ショックは少ないだろうか。脳内でぐるぐるとそんなことを考える。

娘は昨日と同じく、一番奥の部屋で眠っていた。

担当の看護師さんによると、今日、3本つながっていたドレーン(※)のうちの1本を抜いてOKになり、それを抜くときの痛みを減らすため、また眠り薬を使ったとのこと。2時間ほど前に薬を使ったとのことだったので、「ちょうど起きてくれるといいんですが、どうかな……?」とのこと。

※ドレーン:日本語では排液管のこと。手術の傷を閉じたあとに溜まってくる血液や体液などを体外に排出するための管。医師からの術前説明では「心臓のまわりに水が溜まりやすい状態になるので、それを出すための管」と言われていた。実際に出てくる液体は赤黒い感じだったので、最初みたときにちょっとインパクトが強かった。最初から血液や体液って説明しておいてもらったほうが心の準備ができたなあ……。

今日も薄目を開けながら、うつらうつらと眠っているような娘。鼻も、首の血管も、手も、足も、心臓も、まだまだたくさんの管につながれている。自発呼吸もしっかりしてきているとのことだが、まだ酸素サポート用の管もついている。それでも経過はごく順調で、状態も落ち着いていると聞く。ひとまずの山場である手術後の一晩を無事に越せたことに、ホッとする。

朝は、預けていたゼリー飲料を飲めたとのこと。それを聞いておどろく。順調にいけば、今夜の夕食からはごはんが食べられるそうだ。すごい。

意識が戻って起きたときに、パニックになったりしていなかったかと看護師さんにようすを聞いてみる。パニックになったりはしていなかったけれど、やはり「ママ、ママ」と母を探していたらしい。そのときの、娘の不安な気持ちを想像すると胸がぎゅうとなる。

頭をなでて、なでて、声をかける。

「来たよー。おりこうさんにしてたんだってね。がんばったねえ。えらかったねえ。娘ちゃん、たくさんがんばったの、ちゃんと知っているよ」。

そうこうしているうちに娘はもぞもぞしはじめ、起きそうな雰囲気。首につながれている重要な管を抜きそうだったとのことで右手は固定されているし、左手も点滴のボードのまま固定されているので、自由に姿勢も変えられず、寝苦しそうにううー、ううーと顔をゆがめる。ああ、楽な姿勢をさせてあげたい……。

徐々に目が少しずつ開いてきて。

どうやら、父と母が目の前にいることに気づいたようだ。そのまま甘えたように「いや、いや」と泣く。でも、予想していたような激しい訴えのようなものではなかった。「ぎゃあぎゃあとわめくように泣く」というのは、体力があって元気だからこそできるのだという事実を、痛いほど思い知る。

通常時のパワフルさを知っているからこそ、これだけ拘束されても、今はこんなに弱々しくしか反応できないのだな、と感じ、それが胸にささるように切ない。

うん、いやだよね。うごけないし、つながれているし、頭がぼんやりするだろうし。やだね、やだよね。がんばっていて、えらいよ。もう少しここでがんばっていたらね、このあとは、今までよりもっと、元気になるんだよ。そうだよね。そのために娘ちゃん、手術したんだもんね。元気になったら、いっぱい楽しいところに行こうね。どこ行こうか。どこ行きたい?

そんなふうに呼びかけながら、自然と自分の目がうるんできたのを感じて、まずいまずい泣く予定じゃないのだと必死にこらえていたら、鼻水になって落ちてくる。だめだだめだ、湿っぽい面会はいやなんだ。順調に回復してきているというのだから、喜ばしい。深呼吸して気持ちをリセットする。

娘はまだ飲水制限があり、水分量が管理されているとのこと。のどの渇きを強く感じるらしく、何度もお茶をほしがる。看護師さんにわたされ、シリンジ(注入器のようなもの)で少しずつゆっくりと、娘の口にお茶を与える。最初は夫、次にわたし。シリンジをかじかじしながら、ちょっとずつ飲む。

シリンジの量を2度飲みきっても本人は全然飲み足りないようで、「もっと、もっとー」と泣きながら懇願する。でも量が制限されているので、看護師さん的にはもうあげられない。「ちょっとおやすみしようね」とみんなでなだめるのだが、本人は「おちゃ、おちゃ、おちゃ」とあえぐように言う。

何か興味をひくものはないかと、看護師さんに「この部屋には絵本、おいてないですか……?」と聞いてみると、何冊か持ってきてくれた。絵本なんか聞けるテンションじゃないかもしれないけれど……と思いながらも、とりあえず娘の見やすい位置に絵本を開き、テンション高く読み始めてみる。

初めて見る絵本ばかりだということもあり、意外にもしっかりと絵本を見てくれた。「これはだれかな〜?」という問いかけに「にゃんにゃん」や「うさぎ」など、普段より弱々しくも、ちゃんと反応を返してくれたりすることもあり、そのことに、わたしたちはとても励まされる。ちゃんと、娘だ。戻ってきているのだ。まだ安心はしきれないけれど、いつもの娘の一片が、確かにそこに見えた。

結局借りた5冊の絵本を、ローテーションしながら何度も何度も読んだ。わたしが読んだり夫が読んだり、声色や読み方を変えてみたりしながら、少ないリソースを何度も繰り返し有効活用。時折は「おちゃ、おちゃ、おちゃ」とまた思い出したようにお茶をほしがるのだが、なんとかやり過ごす。

13時から面会をはじめて、中盤はひたすら絵本を読みつづけ。14:30ごろにまたうとうとしはじめて、そのまま絵本を読んでいるうちにまた眠った。まだ薬の影響などもあって、ぼうっとしているし、体は疲れているのだろう。

15時になったら退室しなければならないから、バイバイをするときにまた「まま!まま!」と言われたらつらいなあとも思っていたので、このタイミングで自然と眠ってくれたことに正直ちょっとホッとしてしまう自分がいる。目を覚ましたときには父母がいなくて、娘にまた寂しい思いをさせるのは申し訳ないのだけれど。自分の気持ちが楽になるだけで、娘のつらさは変わらないのだよね。ごめんね。

娘ちゃん。また来るね。眠る娘の頭をまた何度もなでて、なでて、そっとPICUをあとにする。

帰るときに看護師さんに声をかけたら、そのタイミングで、「状態も安定しているので、早ければ明日、HCUか、もしかしたら一般病棟のほうに移動になるかもしれません」と伝えられる。寝耳に水の衝撃。

そうやって移動になるのは回復が順調な証拠。だからむしろ喜ぶべきことでもあるのだが、入院前は「1週間ほど」はPICUと聞いていたし、入院してからも「4日くらいが目安?」と聞いていたギャップで、予想外のスピードに戸惑う。いやちょっと待って。まだこんなにいろいろ管ついているし、不安定に見えるんだけど、明日には一般病棟の可能性って。しかも聞いていた話とだいぶ違うんだけど、本当に大丈夫なの。とむしろ不安になる。

移動が決定か、また移動するとしてHCUと一般病棟のどちらに移動になるかは明日の9時に決まるので、9時半ごろにPICUの直通にお電話くださいと言われる。もし一般病棟に移動になった場合は、10時半ごろまでに来てもらいたいのですが大丈夫ですかと言われる。いや、だいぶ予定は狂うのであまり大丈夫ではないが、今はこれが最優先なので、やりくりするまでの話だ。

もし一般病棟に移ることになれば、つまりはまた24時間体制の付き添いとなり、付き添い用の狭いソファベッドで寝る日々が始まるということ。少なくともあと数日(土日は部屋移動がないので、一般病棟に移るのはどんなに早くても月曜だと思っていた)は日中の面会のみで、あとの時間は仕事ができるし、夜も布団でちゃんと眠れるから今のうちに体力も仕事も貯金しよう、とイメージしていた夫と私は激甘であった。

やっぱりこういう医療の現場では、刻々と情報が変わっていく。旅行や仕事みたいに、スケジュールに沿って……とはなかなかいかない。たしかに、毎日あれだけたくさんのオペが行われているのも目の当たりにしているから、早めの移動が求められるのも無理はないと思う。状態が落ち着いている子はどんどんHCUや一般病棟に戻していかないと、あふれてしまって次が受け入れられないのだろう。

面会室を出てスマホを見たら着信履歴が残っていて、かけ直す。相手は、今朝チェックアウトすると同時に、次回分の予約を申請していたマクドナルド・ハウスだった。マクドナルド・ハウスは、1度利用したら最低1週間は空けなければ利用できないので、ちょうど1週間後から、最長予約可能期間の2週間分を予約していたのだ。幸運にも、希望日程すべてで予約がとれたと聞き、ホッと胸をなでおろす。

これで夫の出張中も、実家の母が来て数日後からは、マクドナルド・ハウスを拠点にスムーズな2人体制がとれる。ひと安心。

夜、両家の両親に状況報告しつつ、今後の体制についてももろもろ相談。

こんなふうにバタバタはつきないから、一向に気持ちは落ち着かないが、ひとまずは何より、術後1日目に何事もなく、回復傾向に向かってきているということがわかり、皆一様にホッとした。まだまだ安心できる状況ではないけれど、手術直後の気持ちとはやはり全然違う。

無事にHCU、そして一般病棟へ移れたら、その後も数週間はマラソンのごとく、伴走の日々が待っている。油断しすぎず、でも気を落としたり思いつめたりしすぎることもないように、自分の気持ちをコントロールしながら、ときにバトンをわたし、わたされながら、長距離走を走ってゆきたい。無事に完走できるように。

売店の弁当や外食疲れ、気疲れと睡眠不足で胃がもたもたしており、ひさびさの自宅ご飯は鍋にした。夫と2人きりで家でごはんを食べるのなんて、いったいいつぶりだろう。

(つづく)

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。