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ノマドランドと3年ぶりのレイトショー

先月、「ノマドランド」をレイトショーで観ました。
妊娠、出産、育児、外出自粛と立て続けにやってきて、映画館から随分離れていた気がします。

最近自分の生活が乱れていました。
疲れているはずなのに早く寝れなかったり、毎日の家事や育児、精一杯やっているはずなのに「今日も何もできなかった。」という後悔がつきまとう。
そんな悪循環な日々を変えるスイッチを探していたのかもしれません。
夫に子供の寝かしつけを任せ、久しぶりに1人夜道を運転して近所のショッピングモールに行く。
たった10分のことなのに、旅に出るみたいでそわそわと落ち着きません。



ドキュメンタリーとフィクションを織り交ぜたような映画と聞いていたけれど全く想像ができなかった「ノマド」の世界。
主人公ファーンの「一人」で生きる姿は、久しぶりのおひとり様時間を楽しみにしていた私にズシリと重たい衝撃を与えました。

夫、仕事、住み慣れた町を失い、キャンピングカーを住処として季節労働者として生きるファーンは決して弱い女性ではありません。
Amazon、農場、ファーストフード店など。
どの職場でもテキパキと仕事をこなせる器用さ、出会った人たちに愛される人柄の良さを随所に感じました。
きっと町がなくなる前、教師として働いていた頃は沢山の友人や同僚に囲まれていたのでは無いかと思います。
様々な感情を包み込むような景色と共に、ノマドとして生きるファーンの姿はとても美しく見えました。

終盤にかけて何度かノマドを卒業するきっかけが、ファーンの元にやってくるのですが彼女は旅を続けることを選びます。
「安心して眠れる居場所を」
「心休まる空間を」

大切な人にそれを与えたいと思うことは当たり前で、彼女に手を差し伸べた人たちは何も間違ってない。

でもファーンは、「まだ今は旅を続ける時。」という答えを出します。

この先何を見て何を感じるのか。

暗く冷たいはじまりを予感させた冒頭とは真逆で、壮大な景色に消えていく小さな光をいつまでも見つめていたい。と思えたラストでした。

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久しぶりの私の夜遊び。
がらんとした駐車場で、映画の余韻に浸りながら考えていたのは「家に帰って息子の寝顔が見たい。」「夫に久しぶりに入った映画館の感想を話したい。」という気持ちでした。

開始前に何度も換気システムの説明が流れたこと。
ノマドランドの雰囲気とは真逆の「胸キュン青春映画」の予告が流れてきた時、ムズムズして思わず目を伏せてしまったこと。
出口にある、フライヤーが並ぶコーナーはやっぱり足を止めて眺めてしまうこと。

何気無く過ぎていく数分の出来事も、記念日みたいに愛おしく感じる。

久しぶりの小さな旅なのでした。


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