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対ADHD虐殺兵器、オンライン授業【前編】

こんばんは。絶倫おしょうです。将来は偉い学者になって、床に落ちている縮れた毛が髪の毛なのか、陰毛なのかを判別してくれる機械を作りたいです。

別に知ってもどうということは無いのですれけど、あれ、困りませんか?高校性の頃、柔道の授業を受けている際に、無数の陰毛が床に散らばっているのを目撃したことがいまだにトラウマです(パンツを履かない柔道部員が多かった)。

特に困るのは他人の家に上がり込んだ時にブツが落ちている時ですね。女の子の家に上がり込んだ日には頭は陰毛のことでいっぱいです。これは完全に嘘ですが、下心などは一切なしにパンツを降ろして確認したくなります。それにしても一体どういった因果関係で陰毛が落ちるのだろうか。マジでなんで?もちろん見て見ぬふりをしていればそれで済む話ですが、なんとなく気になります。とにかく正体さえ知れればそれで満足なのです。ただただ結論が欲しいのです。陰毛なのか、それとも陰毛なのか。もうやめます。陰毛の話をやめます。

オンライン授業って、あるじゃないですか。僕の記事を読んでくれているフォロワーの皆さんは現役大学生の方が多いと思うのですが、どうですか皆さん。おそらく賛否両論という感じではないでしょうか。体感だと本当に半々ですね。つらい・めんどくさい・つまらない、という反対派の意見が目立ちますが、効率的・むしろ楽・ありがたい、などオンライン授業を肯定する意見も少なからず存在します。これを今読んでいる皆さんの中でも意見が割れそうな気がします。ちなみに言うと僕は反対です。きつい。本当にきつい。はあん。これを書いている今も山のようにたまった課題や未試聴の講義から逃げ道の真っ最中です。

そもそも私立文系大学生は飲み会・交尾・睡眠が使命なのだ。これは人道に反した虐待としか思えない仕打ちであり、本制度の考案者には間違いなく人の心がない。彼らには罰として僕の母校の柔道場に転がる陰毛を素手で一本残らず回収していただきたい。陰毛がごとく捩じりに捩じれた歪な人間性の持ち主には妥当な処分であろう。

上記のように現行のオンライン授業やそれに付随した生活様式に文句がない、というわけでもないのですが、今回書きたいことはまた別のことです。何しろこのオンライン授業という新制度、完全に僕のような「怠惰な」発達障害持ちを殺しにかかっているのです。いいですか。僕のような「怠惰な」発達障害持ちですからね。決して高潔で賢くて、障害を盾に自身の怠惰さを言い訳にしている人間が許せないあなたのことではありませんよ。早い段階でのブラウザバックをお願いします。

そもそも発達障害についての記事を書くことに関しては長らく抵抗がありました。テーマとして扱いづらい上に、情報の受け手側が普通の記事に対してよりも悪い意味で敏感です。それに何だか発達障害と言う名刺を片手に自己紹介をしてまわっているような痛々しい人間になってしまいそうで、乗り気にはなれなかったのです。実際発達障害を自身のステータスや個性にのように見せびらかす「なんちゃって発達障害」な人種もいるし、傍からすれば今回このような記事を書くことによって、僕も彼らと同じような人間として扱われるかもしれません。「あいつはニセモノ」と負のマウント合戦がしばしば発生するインターネットの発達障害者間でなら猶更でしょう。いつどこから誹謗中傷が飛んでくるかドキドキです(照)。

またまた話が横道に逸れてしまいました。まずよく挙げられる発達障害(主にADHDのことを話しています)の特徴について見ていきたいと思います。もちろん症状・特徴の如何に関わる個人差もあるかと思われますので、その点にはご容赦願いたい。

・しばしば締め切り・約束の類を守れない

・目先の欲望や興味に囚われてしまい、作業への着手が極端に遅い

・物事に優先順位をつけて計画を立てることが出来ない

・集中力が足りずに作業を最後までやり遂げられないことがある

・忘れ物、不注意に起因するミスが多い

・じっとしていることが出来ない

・危機管理能力に乏しい

まあざっとこんなものでしょうか。改めて見るとただのだらしないダメ人間ですね。しかるべき医療機関できちんとした検査を受けて、それに基づいた診断をもらっているとは言え、本当に自分は病気なのだろうかと訝しまずにはいられません。オンライン授業どころか現代社会を生き抜くこと自体にあまり適していないような気もしますが、ひとまず目を瞑っておきます。ではこのADHDが持つ特性とオンライン授業との相性がどのくらい悪いのかに話の焦点を当てていきましょう。

①通常授業よりもタスク管理が多くなる

先ほど述べた通り、ADHDを抱える人間は物事に優先順位をつけたり、計画性をもって作業や仕事に取り組むことや、予定や約束を管理し頭の中にとどめておくことが苦手です。いわゆるタスク管理と言うやつです。決して作業自体が出来ないわけではないのですが、締め切りギリギリまで着手することが出来なかったり、あるいは間に合わないということが多く発生します。

ところがこのオンライン授業、通常の対面授業と比べるとかなりタスク管理が増えるんです。ニュースやネット記事でよく取り上げられるように、課題提出や勉強量が増えるというのもそうですが、それ以上に普段からの自己管理の徹底がさらに求められます。

例えば課題の締切期限や試験の日程。通常授業であれば、なんとなくその場に出席しているだけで教授が課題の提出期限について警告してくれたり、試験に際しての注意事項などを何度か口頭で説明してくれます。要するに学校にまで何とかしてたどり着き、出席さえしてしまえば、どうにかやるべきことのリストははっきりとします。学校に通うと言う作業と予定の確認と言う作業がワンセットになっているとも言えます。ところがオンライン授業では、そうはいきません。課題の提出期限も試験日程も全て自分でアナウンスを確認したり、予定表にそれを追記したりと自己管理を要されます。とにかく自発的に努力をして覚えておかなければならない事柄が多く存在します。つまり、オンライン授業では一つ一つの作業が細分化され、小さなタスクが次々と襲い掛かってくる仕組みになっているのです。

ちなみに僕は今年の前期の授業においては課題の提出期限はおろか、何曜日にどの授業があるのかすらも三週目くらいまでよくわかっていませんでした。トホホ...

②作業に着手するにあたってのきっかけが少ない

次に挙げられるトピックとしては作業の着手についてです。課題や受講を始めるタイミングですね。本記事におけるメインテーマと言ってもよいかもしれません。まずはオンライン授業が持つ、通常授業とは異なる特色について整理していきましょう。

まず至極当然に、オンライン授業はwifi環境が整備された環境、つまり大半の人にとっては家の中で受けるものです。中には一人暮らしをしている学生など、受講にあたっての環境が望ましくないためにネットカフェなどに移動する人たちも存在するかもしれませんが、大半の人がこれに当てはまるはずです。ここで着目しておきたいことは何かというと、通常授業と異なり、オンライン授業とは、家から一切移動することなく完結しうるのです。

もう一つ、ここも重要なポイントになるのが、電波環境さえ整っているのであれば、いつでもどこでも受講が可能と言うことです。これも当たり前ですね。オンラインですから。もちろん授業映像の公開期限や課題の締め切りなどに左右されたりはしますが、通常授業と比較すると遥かに自由度が高くなっています。

さて、ここまで目を通していただいた読者の方々はきっとこのように思うでしょう。「オンライン授業ってやっぱり便利でいいことじゃないか。」と。確かに利便性と言う点に関してオンライン授業には利点が数多く存在します。ですがここでオンライン授業と通常授業の特徴について、まとめと比較をしていきます。

通常授業の特徴

・毎授業決まった時間に大学へ向かい、授業を受ける必要がある。

・原則大学に行かない限り、受講は不可能。

オンライン授業の特徴

・電波環境さえ整っていれば、場所的制約は存在しない。

・締め切り期間が許す範囲で、時間的制約もまた存在しない。

やはりこの点においての比較をするとオンライン授業の方が、学生たちから支持を受けるように思われます。しかし物事は表に出ている部分だけで判断を下すことは出来ません。通常授業の特徴をもう少し掘り下げます。

例えば、通常授業における「毎朝決まった時間に大学へ向かう必要性がある」というのは言い換えれば「着手のタイミングが予め定められている」と言うことです。「大学へ行かないと受講が不可能」というのも「大学へ行きさえすれば授業を受けざるを得ない」と解すことが可能です。

これらは先延ばしのプロライセンスを保持している僕たち発達少年団からすれば、大きなメリットです。何故なら、自己管理が苦手な人間にとって、強制的なルールというのは大きな効力を発揮します。現に自身がADHDであると知った人の多くが大学に入ってからその症状と向き合うことが多いと言われています。彼らは中高生までは周りと同じように規則正しい生活を送り、自身がこなすべきタスクとも向き合えていたと言います。

その理由は家族や担任の教師など、自身のスケジュールを管理し、それがこなせていない場合には指摘をしてくれる存在があったからです(ありがたい...)。いわば私たちの規律でもあったのです。したがって担任の先生や家族などの第三者からの監視の目が少なくなる大学においては、中高生の時よりも自己管理を要される場面が多く存在します。僕自身このように感じることが多くありました。

話を元に戻すと、通常授業において求められる登校という作業は、着手の段階を強制的に速めてくれるものだったのです。大学まで行き教室に辿り着けさえすれば、教授や周りの目もあるため、授業を受けざるを得ません。すなわち「登校して教室に入る」というプロセスには自動性が備わっているのです。また、その授業は実施されるその日にしか受けることが出来ないため、同じく着手するにあたって我々に良い影響を与えてくれます。

一方でオンライン授業はどうでしょうか。一見すると便利ではありますが、いつでもどこでも受講が可能と言うのは、いつになっても始められないというリスクを孕んでいます。時間的・場所的制約の少なさとは、着手にあたってのきっかけ・動機の消失を意味しているのです。利便性とは必ずしも効率性を意味しません。時には本件のように逆の等式も成立しうる訳です。

当初予定していたよりも文章量が多くなってしまったため、後編に移行します。宜しければそちらもご覧下さい。それではまた後編でお会いしましょう。


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