【進撃の巨人という哲学書】6.恐怖、そして思考停止から生まれる危うき正義。 ~9話10話~
アニメタイトル:第9話 左腕の行方
アニメタイトル:第10話 応える
あらすじ
「謎の巨人」が第104期訓練兵達の命を救いました。
その「謎の巨人」の中からエレンが出てきました。
なぜエレンは「謎の巨人」の中にいた?
そもそも「謎の巨人」は敵か味方か?
誰もがこの状況を把握できません。
当然です、エレン本人にもこの状況を把握できないのですから。
駐屯兵団は砲弾をエレンに向けて尋問を行います。
エレンを守る様にミカサとアルミンの三人が対峙します。
駐屯兵団にアルミンがその頭脳と演説でエレンの巨人の力を人類に役立てようと叫びますが、駐屯兵団は聞く耳を持ちません。
ついに駐屯兵団は3人に向けて砲弾を打ちこみます。
その瞬間にエレンは巨人化しミカサとアルミンを救います。
巨人化の時、エレンは自宅の地下室に何か秘密がある事を思い出します。
突然、目前に現れた巨人に駐屯兵団は恐れおののき様子を見るしかありません。
そこでアルミンが駐屯兵団へ説得を試みます。
目の前の恐怖を排除しなければならないという駐屯兵団達との心理戦です。
アルミンのどんな言葉もどんな情熱も恐怖からの思考停止した駐屯兵団の集団心理には通じません。
そして三人に向けて攻撃命令が下りる瞬間。
早馬で駆けつけた駐屯兵団の最高責任者ドット・ピクシスた砲撃を止めました。
ピクシス司令というただ一人の変人司令官によってエレンの命は助かり、エレンの巨人化の力を使って壁の大穴を塞ぐ計画が始まります。
あれこれと考えてみよう
恐怖は人を思考を停止させ、それから逃れるために人を攻撃的にします。
どんな論理的説明もそれを悪魔と見る人の目には悪魔にしか見えないのです。
不安が伝染した集団は団結して、誰かを悪魔にする事で安心しようとします。
みんなで同じ敵と戦う事で団結という正義が生まれます。
そこに善悪など真偽など、事の本質など曖昧でもいいのです。
駐屯兵団は言います
「仕方のないことだ…誰も自分が悪魔でないことを証明できないのだから」と
つまりはそれが「悪魔の証明」です。
悪魔である事は容易に証明できますが、悪魔でないという事は証明できないのです。
エレンが悪魔であろうとなかろうと、恐怖に支配された人々には関係ありません。
全員でエレンを悪魔と決めつける事が正義となるのです。
こうして、いつの時代も戦争はそれぞれの正義の名の元に始まります。
曖昧の積み重ねで生まれたパニックは善悪や真偽や事の本質よりも、盲目的な団結が正義となります。
先の新型コロナパニックもまさにその典型でしょう。
みんなで引きこもる事で時が過ぎるのをひたすらにやりすごそうとしました。
これは単なる集団自殺政策、無理心中政策だったのではないでしょうか?
その集団心理はカルト教信者に似た洗脳状態に、日本中がは簡単に陥ったように私には見えるのです。
その集団心理を、その洗脳をぶっ壊すのはその集団と違う思考を持つ者です。
分かりやすく言うなら「変人」です。
時がたって、実はその変人の主張が正しかったという事はよくあることですね。
そんな変人を徹底的に潰すのが日本人に特徴のような気がします。
今でも、時折あらわれる救世主を「変人」と罵り、袋叩きにして潰すのが日本です。
ですから日本にはピクシス司令のような人物は育だちません。
当然のようにエレンを恐怖ゆえに殺し、結局は全員が巨人の群れに無抵抗に食われる。
いやむしろ、みんな一緒に食われるならそれでいいじゃないか。とすら考える。
日本とはそんな国のような気がしています。
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