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今ここにある、行ったり、来たり。

「行ったーり、来たりっ!」

今いる場所から違う場所に移動したい時、父はこう言う。家の中でのことだ。手足が不自由なので、家族が車椅子を押さないと移動できない。

「えー、またー」

私だって今ようやく椅子に座ったばかりなのに、また移動? 泣きたくなる。でも、立ち上がり、車椅子を押す。泣き言を発しながらも、不思議とからだは動く。知り合いのナースが、患者さんに「助けて」と言われると、「どんなに疲れていても体が動いてしまうのよね」と言っていたのを思い出す。ナイチンゲールの境地だろうか。

以前、父に聞いたことがあった。
「行ったり、来たりすると、少しはからだが楽になるの?」
「お尻がガタガタ揺れて、顔に風があたるから、すこし気分がいい」
普通に動ける私にはピンとこなかったが、動けないと、振動もないわけだ。程よい振動はリフレッシュになるみたいだ。行ったり来たりばかりを要求して、困ったものだなぁと思うこともあったが、決して困らせるために言っていたわけではないのだ。まるで父がわがままを言っているように感じてしまうこともあった。

そんなことを話していたのは、もうどれくらい前のことか。最近では、もっと単純なことしか話さなくなってしまった。突然の事故から家族で在宅介護を始めて5年目になる。あっという間だ。

この5年で父に聞いてみたいことが増えた。父だったらどんなふうに考えるのだろう。どんなふうに行動するのだろう。わたしは色々と話かけようとする。だが最近ではそれを聞くだけでも疲れてしまうようだ。父の様子を見ながらあきらめる。そして安心してもらえるような簡単な言葉だけを伝える。

わたしは3年前に会社を辞めた。仕事で成果をあげたいと必死だったので無念だった。一方で、それを父のせいにもしたくはなかった。仕事を誰よりも応援してくれていたのは父だった。辞めるのは介護のせいではないと強がった。自分の思いと力の落差に、どうにもならない憤りと焦りにおしつぶされた……。

それから1年弱、どん底の中から自分を取り戻す日々を費やした。この日々についてはまた次の機会にしよう。

今は、自分のできる範囲を超えないように、新たな職場で仕事と介護の両立を試みている。両立をしていると言い切りたいところだが、どちらも程々にしかできていない。でもそれが私の精一杯の実力だ。

できることは限られている。それを超えると、心身のバランスを崩すことも知った。それでも、将来のことを考えると、今もっとやっておくことがあるだろうと不安に思ったり、焦ったりする。もっとできるのではないか? もっとがんばらないといけないのではないか? と今でも思ったりするのだ。これも人間の欲望のひとつなのだろう。

今ここに集中しよう! わたしは3年前にそう決めた。そう決めたら、不安や焦りが芽生えてきても、心が折れることはなくなった。

最近、父はあまり話さなくなってしまった。色々聞きたいことがあるのに……。元気な時にもっと話をしておけばよかったけれど、当時は素直になれず、反発してきた。きっと世の中の多くの人が似たような経験をされているのではないだろうか。

だから今は、父が言う単純な言葉をまるで宝物のように大事に受け取っている。

この週末も、父と家の中を行ったり来たりしていた。コロナの影響で外出自粛の週末だけど、我が家はいつものように家の中におこもりだ。窓から眺める外の景色はちょっと違っていた。遠くに見える桜が満開だった。強風で、桜の木は大きく揺れていた。父はそれを飽きることなく見ていた。

「右のがすごく揺れてる。真ん中のピンク色のもたいへんだ」

風を見てるのか? 桜を見てるのか?

「がんばれー」

父が言った。そうか、応援してたのか! 父は強い風に揺れる桜を応援していたのだ。人間の生き様を重ねて見ているように感じた。相変わらず父はがんばっているのだな。自分で何もできなくなってしまい誰よりも辛いのに。それでも人生は続く。がんばれー! がんばろー! 私は心の中で叫んだ。

生きることは、行きつ戻りつだ。揺れ動きながら前に進んでいかないといけない。人は、しなやかに揺れ動きながら、変化に対応している。でも時には変化が激しすぎて、揺れ動くこともできずにカチコチに固まってしまい、前に進めなくなってしまうこともある。私の3年前はそんなところだった。

そんな時には、今の軸を見直してみるのがいいと思う。軸はブレないもので不変なのが良いと勘違いしていたが、その時々の環境の変化に応じて、自分で変えていくものだということに気がついた。そして、ほどほどに動いてみる。ほどほどに動いてみて心が折れなけれけば、その軸で大丈夫なのだろう。

今のわたしの軸は、父が生きることに寄り添うことだ。「行ったーり、来たりっ」は、父にとって生きることそのものだ。

これを早く書き上げて父がいるあちらの部屋へ行かないといけない。そろそろ夕飯の支度の時間だ。父は待っていてくれてるだろうか? 母も、バトンタッチを待っている。

私はしばし書くことで頭の中で行きつ戻りつできた。さあ、父のところへ行こう!


※この文章は4/3に天狼院書店のメディアグランプリにも掲載されています。

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