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「個人の時代」について

最近、「個人の時代」という言葉を聞く機会が増えました。
私自身、IT業界で仕事をしていても、単純作業を人海戦術によりカバーするような仕事は少なくなっており、個人のスキルがプロジェクトの成否を左右するケースも多いと感じています。
また、老後2000万円問題にあるよう、国も個人の資産運用を推奨しています。キャリアにしてもお金にしても、まさに「自分の身は、自分で守る」という時代になってきていると実感しています。

ともすれば、「周りはどうでも良い。自分のやることをやって、自分のことだけを守れば良い」という少々ネガティブなイメージにも捉えられますが、自分のコントロールできることに集中するという意味では、これもあながち間違いとは言えないと思います。
しかし、最近、「個人の時代」の本質的なことは、もう少し違うところにあるように感じています。

結論から申し上げると、「個人の時代」は、

「個人を尊重し、皆がより良く生きることを選択できる時代」

と考えます。

私が好きなプロ野球を例に挙げると、10年程前迄は、選手のトレードにはどこかネガティブなイメージがつきまとっていました。選手個人のトラブル、球団内での人間関係、故障持ちや戦力外の判断等々。(もちろん、そうでないケースも多いです。) 
近年のトレードを見ていると、「自球団では活躍の場は無いが、他球団では、十分に能力を発揮することが期待できる」、「心機一転、新たな場でチャレンジして欲しい」という考えの元、チャンスを与える為のトレードが増えているように感じられます。  
一昔前は、放出した選手が活躍した場合に、ファンも悔しい思いをした(※1)ものですが、最近では、移籍先での選手個人の活躍を喜ぶファンも増えているように感じます。選手が活躍の場を得ることにより、球界全体が活性化することは、元の球団のファンにとっても、喜ばしいこととして考えられるようになりました。  

(※1) 阪神:野田浩司投手 <-> オリックス:松永浩美選手のトレード → FAの苦い思い出は、一生忘れません。  

IT業界の仕事においても、冒頭で挙げたように個人のスキルがプロジェクトの正否を左右する場合が多いです。フルスタックエンジニアと呼ばれるような、ハイスペックな人材が複数の領域をカバーし、一人で仕事を完結できるケースも多々有るかと思います。  
しかし、何でも高いレベルで出来る人というのは、そうそう、いる訳でもありません。規模が大きなプロジェクトになると、多くのメンバーが関係しながら、進めることになります。
ハイスペックな人は、もちろん貴重な戦力です。しかし、プロジェクトを進めるうえでは、それ以外の人達の力をいかに引き出し、ゴールに導くか、ということが重要です。
その場合、いかに個人の得意分野や特性を見極め、それに合わせた仕事の振り方、コミュニケーションを取ることができるか、がカギであると考えています。 個人のスキルや状況に合わせ、各自が目的意識を持てるような仕事の振り方をすると、パフォーマンスが大きく違ってきます。もちろん、個人のパフォーマンス向上は、チーム全体のパフォーマンス向上にも繋がります。仕事をするうえでも社会生活を営むうえでも、老若男女多くの人と関わります。人それぞれ、できること・できないこと、やりたいこと・やりたくないことは異なります。各個人にきちんと目を向け、適切に配置したり、やりたいことをやりたいと言える空気を作ることが大事かと思います。


「個人の時代」というフレーズは、ともすれば、自分のことにだけに意識が向きがちですが、"自分と他人を含めた個人"として考えると、少し見え方が違ってきます。

はっきり申し上げて、私はIT関連の突き抜けたスキルがあるわけではありません。「プログラマ35歳定年説」という言葉を散々聞いてきた世代でもある為、将来のことが不安で仕方がありませんでした。
そんななか、全体的に実力主義にシフトする世の中の流れは、追い打ちをかけるようでした。上記のように、「個人の時代」というものの捉え方を変えることにより、気持ちの面ではだいぶ楽になったと感じています。35歳を超えてしばらく経ちますが、なんとか、IT業界で生きていくこともできています。

現在、育児中の身でもあり、子供にも常識の枠を当てはめてしまうケースが多々あります。個人はそれぞれ違うわけですから、最低限のルール、マナーを守ることだけは、きちんと伝えたうえ、本人の意思を尊重できるような接し方を心掛けていきたいと考えています。

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