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(外国語報道を読む)ボスニアの大ムフティー、イスタンブールのテロでトルコを励ます

十三日に起きたイスタンブールのイスティクラル通りの繁華街で起きた爆発事件はクルド系団体やイスラム教武装勢力からの追悼が出されるなど、国内外に衝撃を与えている。自由ボスニア通信(Slobodna-bosna.ba)によればテレグラムを通じ、同国の大ムフティー(Reisul-ulema)であるフセイン・カヴァゾヴィチ氏からも追悼のコメントが出されたという。

あなた方は一人ではない

全能の神に願い奉ります。我らが兄弟国であるトルコがあらゆる形のテロと人々の恐怖と善く向き合えますように。それから犠牲者の家族の方々に平和が訪れますように。そして亡くなった者たちの罪を洗い流して、彼らが神の慈悲の中に還れますようにお祈り致します。そして傷ついた人々が早く良くなりますように。

言わせてください、我らが友よ、あなた方はこの悲劇の中で一人ではないのです。多くの人々が痛みと悲しみをあなた方と分かち合ってくれています。

心よりの思いを送ります。

https://www.slobodna-bosna.ba/vijest/276172/reis_kavazovic_o_terorizmu_u_istanbulu_odluchnije_se_suprotstaviti_silama_mraka_koje_ubijaju_i_kasape_ljude.htm

大ムフティーの歴史背景

ボスニアはかつてオーストリア・ハンガリー帝国がベルリン条約に従い同地域を支配下に置く一八七八年までオスマン帝国の一部ボスニア州だった。しかしながら、同地の支配を進めるためハンガリー帝国はオスマン帝国とボスニア人たちの距離を遠ざけていく必要があった。そのため、ハンガリー帝国が最初のボスニア州のイスラム教徒を束ねるための指導者を任命した。それが大ムフティー、レイスル・ウレマーの始まりである。初代大ムフティーはムスタファ・ヒルミ・ハヂオメロヴィチ(Mustafa Hilmi ef. Hadžiomerović)であった。大ムフティーを長とするボスニア・ヘルツェゴビナイスラム協会(Islamske Zajednica u Bosni i Hercegovini)が誕生し、現在の大ムフティー、フセイン・カヴァゾヴィチ氏が二〇一二年に第十三代目大ムフティーとして就任した。そうして現代までに至る。

 "テュルク言語的"なイスラム教徒たち

ところで、ボスニアのムスリムたちの面白い特徴といえば、イスラム教の行事などにトルコ式の挨拶を使用することだ。例えば典型的なラマダンの祝辞は「ラマダン・ムバーラク」でアラビア語である。しかしながら、ボシャニャク人たちは言語的にはスラヴ語を使用する民族であるにもかかわらず、オスマン帝国との歴史的な関係からテュルク語的な挨拶を使うことに筆者は最初大変驚いたものだった。例えば「ラマダン・ムバーラク」はボスニア式で「ラマダン・ムバーラク・オルスン」や「ラマダン・シャリフ・ムバーラク・オルスン」となる。スラヴ語の要素なぞ一つもなく、語彙だけで見ればむしろアゼルバイジャン語にも見えなくもない(1)。

終わりに

今回のテロの仔細はまだ不明だが、トルコ政府がPKKやPYDが犯人と名指ししている以上、再度民族問題へと発展していく危険性を感じる。その際、ヨーロッパの歴史あるボスニアのイスラム教徒たちがトルコやクルドの血生臭い抗争に巻き込まれないように願いたい。


(1) 例えばreddit.comでの質問: https://www.reddit.com/r/bosnia/comments/g6yuy2/a_question_about_ramadan_in_bosnia/

参考:
(1) Islamske Zajednica https://www.islamskazajednica.ba/institucija-reisu-l-uleme
(2)Preporod https://www.preporod.com/index.php/sve-vijesti/islamska-zajednica/item/8714-mustafa-hilmi-ef-hadziomerovic-prvi-reisu-l-ulema

写真:Photo 73740623 © Ozimician | Dreamstime.com

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