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苦しみの弱さと強さ。そこから見る人との関わり。

ただ楽しさだったり嬉しさだったり幸せだったり、そういったものを中心において過ごせばいいはずなのに。
それが自分の幸せな人生に、幸せな今に繋がるはずなのに。
そうは分かっていても、それらを中心におけない時がある。

自分で複雑にしていることも、自分がこの現実を創っていることもわかっている。

それでもどこか宙に浮き、自分の居場所も自分の存在も分からず、ただ彷徨い続けることしか出来ないことがある。

どうしたらこの状況が晴れるのか、私はここからどうしたいのか、何もかもが分からない。

それでも私は生き続ける。

きっと誰かに話を聞いてもらってもいいし、自分で調べて糸口を見つけてもいいし、その状態をひとまず漂ってみるのもよい。

そこに正解は無いし、どのルートをたどっても、きっと必要な場所へはたどり着く。

そしてきっと、どの方法を使っても100%心が軽くなるような方法は無い。

心が晴れる方法を知っている人は、きっとここまで悩まない。悩む前にその手を使っているはずだから。

1人で悩み続ける人はきっと強い。それだけ弱さを抱えられる器を持っているということだから。

でもそれを言われても、正直そんなに嬉しくはないよね笑 特に渦中にいる時期だと嬉しくない。だってそれで苦しんでいるのだから。

でもやっぱり、同じレベルで苦しみを味わっている人、味わったことのある人、想像して寄り添ってくれる人、そういう人に救われることがあるのは確かで。

自分の苦しみを吐き出しながら始まったこのnoteも、書き始めたら私から私へのメッセージとなり、私を勇気づけてくれている。

可哀想と、弱いと、寄り添うのではなく、ただただフラットに。あなたはそうなのね、そう思ってそう感じているのね、という寄り添い。そういう寄り添いがありがたいし心地よい。

話している時点でそれは全てただの事実でありただの事象なのだ。自分で理解して納得するしかその先に進む方法はない。

だからアドバイスはいらないんだなぁ。ともに考え、ともに整理し、ただ共にある。そういう関わりは実にシンプルで味気ないものだけど、そこにたくさんのものが詰まっている。

人と関わるにはなにか価値を提供しないととか、何か意味が無いととか、心に寄り添ったり相手に寄り添ったり、そんな親密さがないといけないと思っていたけれど、ただそこにいるだけで、ただ話を聞くだけで、それだけで救われる人もいる。

私はそういう関わりをしていきたいな。

必要以上に線にせず、必要以上に線にすることにこだわらず、点であることを許していく。

今という点に全力投球でもいい。全てを点のままそこに置き続けてもいいし、たまに点と点を繋いでもいい。点であることを悲観せず、点であることを誇りにしよう。


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