本が山のようにあって、(略)つまりそれは、分かりたいからです。

「ハル」も終わって、気づいたらほろびての公演も終わってた。気づいたらなんて生やさしいものではなかったし、「ほろびての6月公演」のタイトルを決めたのは「ハル」の本番中だった。

見たい芝居や映画や読書をことごとく断って、それはいつもの通りなんだけど、断って、ちょっと「こわいなあ」とか思いながらタイトルを決めていく。考えているときはぜんぜんたのしい作業じゃない。どんな芝居にするかとかあれこれと考えながら、メモを書いて重ねて意識とか無意識とか、どういうものにいま興味があるのかとかを、自分の中を潜るように、探していく。

書きたいことは山ほどある、と言えるときもある、けど、気づいたら書きたいことがなんにもなくなっていたりする、ときもあって、そういうときが公演前だと死ぬほど焦ったりする。「ハル」のとき、演出の栗山さんからのことばは全部プレゼントのようだった。そういうときに、役者である状態と、これからお芝居をつくろうとする状態のどっちもが同居するのは無理、だと思った。きっとできないことではないし、できる人もたくさんいるんだと思うけど、自分は無理だなと思って、全部置いといた。

そしたら直前にドカッとくるもんで。そろそろ決めないとヤバいぞ、っていうところまで来て、ほろびての6月公演のタイトルは決まった。決めた。それは人間の状態から出てきた。「公園まであとすこし」。タイトルの意味を説明するのはやぼだから、聞かれたら口べたなりに一生懸命説明するけど、でも適当に流して話しちゃったりすることもあるだろうし、作品を見たときほどの「なるほど感」にはきっと及ばないから、本番を見てもらいたいけど、もう終わりました。

昨年だったかな。夏に小劇場で公演中止が相次いで、その事態を受けていろんな人がいろんなことを発信していた。自分はやるだけの立場であることもあるけど、書く方の立場であったりするので、ほろびてではそうなので、あんまり生きた心地がしなかった。6月の公演でもそうだった。これに関しては最近、演劇ジャーナリストの徳永京子さんが書いた文をどこかWebだったと思うんだけど(追記:現代詩手帖の演劇特集号でした)、読んで、ひとりただ静かに溜飲を下げさせていただいたので。作劇に関して、序破急、3幕構成、起承転結、みたいなことにいまはあまり興味がなくて、書きたくないという事ではなくて、書けるんだけど、書けるんだけども、と一応強調だけはしておいて、言い訳。「公園まであとすこし」の稽古の帰り道、出演者の加瀬澤さんと話していたことなんだけど、僕が「今回のって、順を追ってないから、全然いみがわからないかもしれません」と、書きかけの台本を読んでもらった帰り道、加瀬澤さんは、「分かりやすいのは他でも見られたりすると思うので、全然いいです」と言ってくれて、それは地味に効いてくるボディーブローみたいに、ゆっくりうれしかった。

分からないことに、たぶん僕は興味があって、だから湧き出る好奇心で近づいていくんだと思う。分からないことはおもしろい。世の中にはもっと分からないことを徹底的にやっている人たちがいるので、僕は全然ぬるいけど。でも分からないことに触れるのはたまらない。そして「公園まであとすこし」は振り返ってみるとけっこう分かりやすかったと思う。いまこうして書きながら思ったのだけど、人間の状態はすべて途中にあるわけで、はじまりは個人単位で見れば「誕生」であり、終わりは「死」で、その間の時間は絶えず変化と流動をくりかえしていることを考えると、十全にわかる必要なんてなくて、だってそもそも日常生活で他人に対してわかることなんてほとんどなくて、少なくとも目の前で起きている事が何であるのかを理解する材料さえあれば、見る人がそれぞれで組み立ててくれる。現実でもそうしているのだからいわんや創作をや。と、いま。

公演が終わって、ちょうど3週間。あれからできなかったことを取り返すみたいに芝居や映画や本に触れていて、いまはたいへんしあわせ。お金や時間という限度があるので、行けないものもあるにはある。でも行けてる方が多い。もっと世界が僕にやさしければ、もっとしあわせになるでしょう。でもやさしくねーんだなー、世界は。

最近見たお芝居で、ある人がお芝居を見て感動するというシーンがあったんだけど、お芝居は劇中劇になってたんだけど、そのシーンを見て、僕はただ、心が動くということも「見る・聞く・触れる」といった参加がなければありえないできごとなんだよなと思って、当たり前の事なんだけどその当たり前にずいぶん打ちのめされて、別にそれは芸術鑑賞じゃなくてもよくて、キャンプでもBBQでも、ネトゲでもなんでも、洗濯とかでも、そうすることで以前と全く同じ状態ではいられないんだよなあ。っていうのはきっと年を重ねて、歩いてきた道のりがずいぶん長くなったから、前だけを見てひたすら進んでいた時期というよりちょっと歩き方が変わっているから、自分の変化が日々の自分の行動によって起こるって感じられるようになったのかも知れない。

僕の家はいま本の量が大変な騒ぎになっているんだけど、あくまでも当社比だからもっとすさまじい状況の人もたくさん知ってるけど、個人的にいま、家にある本の山に僕は完全に居場所をゆずっている感じで、話は戻るけど、分からないことに対するわかりたさから、本をどんどん買ってしまう、それで山がどんどんできていくというのは、ある。あると思います。そしてそんなことして本を読んでもやっぱり、わからないことはほとんど何にも分からないという。

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