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イサム・ノグチ、日本とアメリカ



 イサムノグチの作品、月から見るべき彫刻を初めて見たとき、こんな早期からそのような構想を働かせているのは彼の思考力がどれだけ卓越したものだったのかを知ることができた。

 私は建築も彫刻と同等だと思って生きてきた。
それは日本で生きてきたからかも知れないしイサムノグチの功績が波紋し自分の無意識に根付いていたからかも知れない。古代建築など建築様式もある程度知っていたしイサムノグチの主張はよくわかると思う。

 私たちも作品を展示する時、絵の空間をよく考えるし最近では「惑星ザムザ」という布施林太郎キュレーションの展示では廃墟を利用し一連の作品の場所が展開されていた。だからこそ建築家は彫刻家に劣るなど全く考えたことがなかった。なので、実は過去にはそうではない考え方があったことに驚きが強かった。

 そして物質としての物の存在だけではなく言葉の概念としての存在があり、今日の芸術が形作られていることはよく感じている。自分と同じ時間軸にいない人たちの声を聞けることは不思議な体験ではあるのだけどその事がどんどん未来を変容させる可能性があることを面白いとも感じる。

 イサムノグチのライトに関する資料はとても興味深かった。
「あかり」の作品は知っていたのだがあまり深く知ったり考えることはなかった。ここまで日本とアメリカを行き来して日本の文化の伝統から強いインスピレーションを受けていたことはとても嬉しく感じる。

 イサムノグチが日本を代表する彫刻家なのかアメリカを代表する彫刻家なのかは悩ましい問いだが無理やり答えを出そうとするなら日本を代表する彫刻家だと思う。


 単純に、アメリカに新しい価値基準を提示したという点で日本への影響よりアメリカへの影響の方が強いと思ったからである。村上隆がスーパーフラットを日本の文脈から持ち寄ってニューヨーク等で影響を与えたのも日本を代表する行為だと思うし草間彌生もそうだと考えているからである。逆に日本人が他国の文化を吸収して日本に新たな風を吹かせればその人は他国を代表した作家であると考えるとするならば。しかし、どこの国かなんて正直これからはあまり考えたくない。そう思ってしまうのは自分は国家というものがあまり好きじゃないからなのだろう。
だが、国が文化やわれわれの生活と密接に繋がっていてその営みを構成している以上、切っても切り離せないということは確かだ。

 イサムノグチの国としてのアイデンティティの不安定さは自分には理解しきれない壮絶な経験だと思うが、彼の言語感覚や美学が作品に影響をあたえ、独自の表現を形作る重要な手がかりだったことは理解できると思う。


しかし、国など関係なくあらゆる人間の芸術作品は(音楽も絵画も展示も舞踊も彫刻もありとあらゆる芸術性を持つ物)は、歴史をまたぎ人間が人間のために最善を尽くす行為が根底の構造にあるのかもしれないと思った。



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