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未来へ

(今回は津波の話多く出てきますので苦手な方はご遠慮くださいね)

こんにちはぷりんです。すこしお久しぶりになってしまった。

先日、人生初の岩手県へ行ってきました。ジオパークに行ったり、博物館や歴史館、そして震災遺構などさまざまなものを見てきました。

(※ジオパークとは、「大地の公園」という意味で地球(ジオ)を学び、丸ごと楽しむことができる場所をいうそうです)

ジオパークでは自然の美しさや雄大さを学ぶことができたり、鉄の歴史館というところでは製鉄の歴史を学ぶことができたりしました。先人たちの知恵や技術は素晴らしいなと思いました。



そして、3.11の大津波によって壊滅的な被害を受けた地域をガイドさんの案内でまわりました。建物の下の部分が津波によってさらわれたホテル、ほぼ原形をとどめていない防潮堤、かつては住宅地だったけど今では完全に更地になってしまった場所・・・などなど震災の影響をあまり受けない地域に住んでいた自分は当時テレビの映像でしか見たことのなかった世界が目の前にありました。町のいたるところには津波到達高のしるしがものすごく高い場所にあって、こんなにも高い津波がここまでやってきたのかという衝撃をうけました。
外部には出していない、現地でしか見ることのできない津波映像も見せていただいたのですが、衝撃と恐怖で涙が止まりませんでした。
ガイドさんは震災を経験され身近な人を何人も亡くされていて、当時のお話も目に涙をためながら色々聞かせてくださいました。亡くなった方も辛く苦しい思いをして亡くなったのだろうと思いますが、生き残った方々もあの時こうしておけばよかったとかああしていればとか、様々な後悔や苦しみを抱えて日々生きているのだと思いました。でも、生き残った人々は苦しいながらも少しずつ前を向いて町の復興に尽力し、3.11の教訓を活かして将来少しでも被害を減らせるように伝えていく努力をされていました。

日本は災害大国で毎年大きな災害にいくつも見舞われます。自分が住んでいるところにもいつ襲ってきてもおかしくないし、次に被災者となるのは自分かもしれない。そんな日本に住んで幾度も災害を乗り越えてきた私たちだからこそ、将来へ伝えられることがあるのだと思います。震災遺構だって、残しておくにもお金がかかる。住民からの反対もあったとガイドさんはおっしゃっていましたが、残しておいてくれて本当によかったと思ったし、これからも残しておいてほしいと思いました。実際に見ないとわからない災害の事実がそこには残されていました。消えない記憶。でも消してはいけない記憶だと思いました。

次の3月であれから10年経ちます。私はその時まだ中学生で、今の小中学生は生まれているか生まれていないか、生まれていたとしても赤ちゃんだった頃です。震災を知らない世代が今後どんどん増えてくるのは当然のことですが、辛く苦しい記憶だとしてもこれを繰り返さないように、風化させないように過去に学び未来へつなげていく、これが私たちの使命なのではないかと思いました。




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つたない文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
少し重い文章になってしまったかなと思いますが、今感じていることを感じたままに書いてみました。

こいつ、ちょっと面白いかも。と思っていただけたら幸いです。 何かおいしいものに遣わせていただきます。