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時の流れのほんとう 〜ヌーソロジー編~


以前に「時の流れのほんとう」という記事を書きました。
時間は過去から未来へと流れているのではなく、未来から過去へと流れているのだと。


上の記事では ”意識を投げる” ということを伝えるのに主眼を置いたため、3次元的な時間に限定して書いたのですが、時間について書き切れなかった部分が氣になっていたので
今回はヌーソロジー的な視点からの時間について、自分なりの解釈を記事にしてみました。

私なりの理解となりますので詳しくは是非本家ヌーソロジーのサイトでご確認くださいね♪


私たちは通常、時間を過去から未来へ流れゆくものとして直線的なイメージで捉えています。
幼い子供が徐々に青年へと成長し、大人になりそして老いてゆく。そんな不可逆的で直線的なイメージです。

しかしヌーソロジー的な時間解釈では時間は直線的なものではなく円環のような構造となっています。

半田さんX(Twitter)より


この図は時間の構造が分かりやすいよう3次元的に表されているものなので、実際には3次元空間での物理的なものとは感覚が異なるのですが、イメージを掴みやすいかと思います。


3次元意識での時間感覚というのは過去→未来へと直線的なイメージで感じられますが、図では左右で表された直線的な時間とは別に、もう一つ奥行方向に向かう時間(持続の時間)があります。

*「奥行き」というのはヌーソロジー用語なのですが、ここでの奥行きとは私たちが日常で使っている物理的な意味での奥行とは異なるもので、通常は意識上にあがってきていない概念となるため少し注意が必要です。


持続の時間というのは流れない時間のことであり、私たちは普段、流れる時間は意識していますがこの流れない時間というものを殆ど意識することがありません。
それを意識上に顕在化させていくことがヌーソロジーでも大事なことになってくるのですが、かと言って直線的な時間の流れが間違いなのかというと、そうでもありません。

私たちが3次元意識で認識している空間では時間は直線的な流れとして感じられるからです。

時間には流れる時間と流れない時間が同時に存在しているということです。


流れる時間と流れない時間は同時に存在していますが、3次元意識の私たちからは本来的な時間の円環の断面のようなものが直線的な時間として感じられています。
この直線的な時間というのは過去から未来へと流れる時間、未来から過去へと流れる時間の両方を含みます。

私たちが感じている流れる時間というのは時間というもののごく一部分の見え姿に過ぎないということになります。


流れない時間というのは普段私たちが内的に感じている
自分が存在している」「自分がずっとここに居る」といった永遠性のある時間です。

例えばあなたの部屋の窓辺に突然、空飛ぶ絨毯がやってきたとしましょう。
あなたはそれに乗って今から世界を一周します。

絨毯に乗ってエジプトの砂漠から万里の長城を抜け、ニューヨークの摩天楼まで移動した時、肉体は物理的に移動している感覚はありますが、それと同時に周囲の景色がどれだけ目まぐるしく変化したとしても動かない自分の位置というものがある筈です。

深海に潜ろうが、宇宙空間に出ようが同じです。

あなたはあなたとしてそこに存在し続けています。


時計は時間に目盛りをつけて刻んだものですが、1秒から2秒の間には常に隙間があります。1秒と2秒の間を更に細かく分けていったとしても、そこにはまた隙間が生まれ、更にその隙間を ”測定することが可能である最小の時間” であるプランク時間まで細かく分けていったとしても、物理学ではその隙間を表現することは出来ないため、
隙間は無限にあると言えるのかも知れません。

同じように、時空間というのはいわばデジタルのようなもので、そこには常に ”隙間” があります。

個人的にはこの隙間が空いた間というのは「空く間」であり、「悪魔」であり、
これはこの物質世界はアーリマンの世界だということを示しているから、、?
そんなことを、思ったりもします。


それに対して流れない本来的な時間の世界というのはアナログのようなもので、常に連続性を持ち、途切れる事なく永遠に続いています。

普段私たちは目の前の物がそこに在り続けていることを当たり前のように思っていますが、私たちが見ている時空世界というのは常に瞬間でしかなく、一瞬前は過去であり一瞬先は未来であるため目の前にある全ては超高速のストロボ写真のように一瞬一瞬を刻んだものでしかありません。

時空は瞬間瞬間に現出していますが( 時間は思形 ψ9、空間は感性ψ10 の働きによる)、次々に現出するその時空間を繋ぎ合わせることで私たちはあたかも物がそこに在り続けているかのように認識しています。

そしてその瞬間瞬間の記憶を把持しているのは流れない本来的時間の側です。
瞬間として現出してきた時空間はすぐさま流れない時間の側へと回収されており、それを私たちは記憶としてみています。


私たちは流れる時間の中で脳の中にある記憶を使いながら日常を営んでいると思っていますが、ヌーソロジーではこの記憶のある空間のほうが時間そのものを生み出している本体の側であり、記憶は脳の中で起こっているものではありません。

時間というのは途切れることのないいのちが息づく本来的自己の側から送り出されているものなので、その意味で時間はいのちそのものであり自分そのものだとも言えます。


現出する瞬間と永遠の間で時間は反復しているという円環状の時間感覚がヌーソロジーでは4次元意識での時間感覚となります。

この意識上では流れる時間は存在しないということになります。横軸から縦軸へと意識を上げる感じです。

そしてヌーソロジーでは4次元空間から4次元時空(私たちが通常感じている空間)が発生する関係性を認識している意識が五次元的な意識となるようです。



なかなか掴みづらいかも知れませんが、なんとなく円環的な時間のイメージが感じられるでしょうか。


因みに私たちが普段当たり前に感じている流れる時間というのは6500年の調整期の期間に限定されたものなので、これから覚醒期に本格的に入っていくに従って今のような時間に対する感覚はおそらくなくなってゆくのだろうと思われます。覚醒期は時間のない世界です。



今しか感じることのできない時の流れという感覚を存分に楽しんでおきたいですね♪



時間についてはまだまだ奥の深い世界であり掴みきれていないのですが、現時点でのまとめとなりますのでまた理解が進んだら、追記していきたいと思います。

お付き合いいただきありがとうございます(^^)


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ヌーソロジーの世界を実体験を交えて語ってくれるテルさんの記事はこちら♪



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