「私たち」というときに

 最近感じるのは、女性のアラカンは微妙な年代だということ。年金がもらえているわけでもなく、子どもが巣立って間もなかったり、80過ぎてまだ元気な親がいて、介護も中途半端に忙しい。私自身はまだ仕事をやめる気はなく、老人体操が嫌で、スポーツ系のサークルに参加して体調の維持に努めようと重い腰をあげたところだ。

 友人Aの90才になろうとしている父親は健在で、実家にいくと待ち構えていて彼女のあら探し、ネガティブな指摘をしたり、大昔のことを持ち出して、急に大声をあげて怒り出すという。私は病院に見せたほうがいいとすすめた。激高すると止まらないのは性格でなくて認知症だという経験を義父でしているから……。

 もちろん昔からそうだったらしいが最近は特にひどく、彼女の姉は20代のときに毎日文句を言われるのが嫌で家を出て行って結婚してよりつかない。その姉は友人Aが両親の面倒をみていないといって呼び出しては、説教をしてくる始末。「この親にしてこの子あり」とはよくいったものだと思う。

 友人Bの母親は、戸籍をどうやって改ざんしたのかはわからないが、親戚の司法書士に頼んで相続者の彼女がいないことにして家や土地をうり、下の妹と二人、東京で夫なきあと悠々自適の暮らしをしていたが、ついにその妹が癌になって余命数ヵ月になったため、姉であるBを探し出して自分の面倒をみろと迫った。

 昔からBを奴隷のように使い、自分の都合のいいように解釈しては嫌なことをすべて押し付けて周りにウソばかりついていた母親だったが、地元に戻って彼女がしたことは精神病院にその母親をいれることだった。親戚はBから両親の虐待の話を聞いても信じない人も多く、それでも心ある人の助けを借りて父と妹の位牌を寺にあずけて「墓じまい」をすると母親と縁を切った。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?