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育児はなぜこんなにも難しくなってしまったのか?

令和日本が抱える最も大きな問題、それは少子化である。

この問題を解決すべく、政府は保育園の拡充や育児手当など、様々な育児支援策を行ってきた。そして今や待機児童はほとんどいなくなり、保育園はむしろ供給過多にまでなっている。また家電の進化も著しく、食洗器やドラム式洗濯機といった育児世帯を支える便利家電が多く開発されてきた。もし育児にかける手間が昭和から変わっていないのであれば、育児の難易度は確実に下がっているはずだ。しかし現実はNOだ。むしろどれだけ政府が育児支援策を打ち出そうが、どれだけ家電が便利になろうが、育児のハードルはむしろ二次関数的に上がり続けているのである。

筆者の幼少期と比べてみても、最近の子育ては非常に丁寧になっている。夕暮れ時に公園に放置されている子供はほとんど見かけなくなった。平成の漫画などには幼稚園と乳飲み子を家に残して買い物などに出かける描写があるが、今そんなことをする親はほとんどいない。育児は平成の30年を経て、驚くほど丁寧で手厚いものに進歩しているのだ。

子育てが丁寧になること自体には筆者も賛成であるが、費用対効果を度外視した育児投資や、子供にとって負担になってしまうほどの教育知育は子供や家族を必ずしも幸福にするとは限らない。昨今の毒親問題を見ても、ネグレクト系毒親よりも過干渉毒親の被害の声のほうが大きくなっている。子育てに力が入りすぎしまうあまり、逆に子供が不幸になってしまっては本末転倒である。

ジャンクフードを禁止して食育にこだわる自然派ママ、子供を未来の大谷翔平や井上尚弥にしようとするスポ根パパ、子供を医者にしたいがあまり過剰な負荷をかけて勉強を強制するお受験ママ、テレビスマホタブレットswitchを禁止する管理者パパ。

彼らは皆答えのない子育てに答えを求めて暗中模索、右往左往した結果、子供はもちろん自分たちの首も絞めてしまっているのだ。力みすぎの育児は子供のためにならないことのほうが多い。答えのない育児に答えを求めてしまう、理想の子育てを求めてしまう、それが育児を地獄に変えてしまう最初の一歩なのだ。

人にはそれぞれ個性があり、子供たちの性格や能力も様々だ。子供みんなに当てはまる育児の正解などあるはずがない。正解があるのは三食食べて夜はきちんと寝る、歯磨きをして、愛情を持ったコミュニケーションをとる、といった“養育”までの話であり、養育を超えた教育の分野で100点を目指すことは、ゴールのない泥沼に飛び込むようなものなのだ。

しかし、昨今の子育て世帯をみると、この地獄のデスロードに飛び込んでいく子育て世帯が非常に増えている。なぜ我々現代人は育児を難しく考え、自らハードルを上げてしまうのだろう?その理由は大きく分けて3つある。1つ目が……

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