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これまで(中学生編)

ふとんの中からこんにちは。ぽん子です。

いやはや。かなり時間が空いてしまいました・・・。
実は先日から本格的に就職活動の前準備?のような
ものが始まり、1つのことしか頑張れない私故、noteの更新が
全然できずにおりました・・・・・・
(ふとんから出てるじゃねーか!とかいう野次はやめましょう)

そんなことより本日から中学生編です(唐突)
みんなから避けられていた、みたいな描写はありますが真実はふんわりとしかわかっていないのであくまでわたしの主観と思ってください…!

それでは参りましょう~

基礎的情報

・実家近くの公立中学校へ進学
・またしてもあまり仲良い子とはバラバラのクラスとなる(本当クラス替え運、ない)
・なんやか色々見学して当時仲良かった子が複数入ろうとしていた卓球部へ何も考えず入部
 →仲良かった子たちは主に近所の子が多く、私の多弁やあまり周りを考えない言動でそっけなくされたり、時間が経てばまた仲良くしてくれたり…という間柄w確かこの部活入る入らないのときも何かそっけなくて避けられていたような気がするw

人間関係に悩み続ける日々

・理由はわからないが定期的に女子に無視やそっけない態度などをされ、時間が経つと話しかけてくれるという時期に突入
・母にも相談し姉の名前を当てたという謎の占い師から人間関係を良好にするという謎のパワーストーンをもらう(解決策がカオスw)
・いじめというよりは無視やそっけない態度を取られるということが不幸中の幸いでありメンタルクリニックに通うなどはなかったもののしんどい日はあり、そんなときは学校の公衆電話から母の携帯に電話をかけ声を聴いてなんとか通っているような状況。休んだらもう二度と行けなくなる、という気持ちで学校行ってた
 →後日談となりますがやはり思春期の男女関係のいざこざが原因だったらしく男子と喋ることが多かったため「好きな男の子と仲良くしてる!」などで無視されたり「単純にうざい」という理由もあったそう(成人後に仲良くなった数人が教えてくれました。
いまもこのときの当時の友人たちのうんざりした顔だったり、は思い出すことがあるので自分の中でコミュニケーションを変えなければ、というきっかけになった出来事でもあると思います。)


自分なりの考察と試行錯誤を始める

このあたりから現在にも繋がるような社会適応を模索します。
挨拶をしても無視されることも多かったのでなんで?なんで?の連続で辛い時期ではありましたが今まで私の身の回りの世話は
ほぼ母がしてくれていた部分があったので
「自分で考えて自分で解決する」
ということを意識したことも全くなかったのですが、
当然ながら学校の人間関係は
母がなんとかできる部分ではなく、

「戦略を立てて困難に立ち向かう」
みたいな自分の強みでもあり弱み(過剰適応という意味で)
が少しずつ芽生えてきたのかなと思っています。

中学生の私は
まず自分と、難なく学校生活を楽しく送っていそうなクラスメイトとの
違いを考えてみました。
それは

①外見に気を遣っている
②話が簡潔、自分のようにベラベラずっと話さない

というものでした。
①に関しては割とすぐ結果が出たのを覚えています
毎日ジャージのショートカットだった少女が髪を伸ばして流行りの髪型にすると、やはり変化に気づいた女子は手のひらを返したように話しかけてくれて嬉しかった、と同時に「なんだよ、小学校のときはバカにしてきてたくせに」とも思ったのを覚えてます(卑屈・・・)
まぁそのあとすぐまたボロが出て避けられたりを繰り返しますがw
ただ、外見に気を遣うといっても中学生は制服だったのもあり毎日の学校生活では髪型を変える(この頃には毎日髪を洗わなければ・・・という気持ちが芽生えてましたw)ことや
当時の流行りもありますが色付きリップやグロス使っていたりすると
「あっそのリップと色違いの私持ってるよー」などが自然と行えるため
「共通の話題を増やす」ということも意識していた気がします。

でも私にとって
「外見を少し変えただけで一瞬でも話しかけてもらえた」
「やっぱりこの仮説は正しいのか」
というのは大きな一歩でした。
このあたりは今でも試行錯誤の日々ですが外見を整えることは擬態する上でのパスポートだな、と今も思っているところがあります。

私はごくごく一般的な身なりにも気を遣えるあなたたちと一緒の人間ですよー。ということを言葉なしで一発でアピールできるパスポート・・・。少し変わっていても、黙っていても、向こうから話しかけてくれる可能性さえあるのが見た目の強さなのかな、と思います。
(このあたりは今後また記事にしたいです)

言葉を話さずとも一発で「こういう人間です」と表現できるのがファッションの強さ。
好印象を持たれると加点方式になる気がする。
合わせすぎると自分を持っていかれるのであくまで「自分のため」に擬態のテクニックを使う。
でも、見た目から入られてマイナスな印象を持たれると減点方式で評価され、雪だるま式にマイナスイメージが増大する。しかも何喋っても取り戻せないことが多い。

②に関しては、お笑いと出会ったことが解決の一歩として大きかったです
今でもお笑いは大好きでお笑いウォッチは自分のライフワークの一つでもあります。
昔からテレビは大好きでしたが、深夜の「オンエアバトル」や「はねるのトびら」などを見始めたのもこの頃で、若手芸人さんのラジオも聞き始めこの頃の生きがいにもなっていました。友達もおらず休み時間は一人でいることも多かったので相当しんどい時期でもありましたが毎朝早めに起きてお気に入りのお笑いビデオを見て、登校中は録音していたお笑いのラジオを聴いて登校する、という毎日でなんとか乗り切っていました。

ここまで真剣であったかは謎ですがあっけらかんとは聴いてなかったと思いますw

漫才やエピソードトークなどを聞いていたときに感じたのは
状況や何人が聞いているかによって話し手は絶妙に話す順番などを変えているケースが多い(相手が少人数、あるいは事務的な連絡のときは早く結論が欲しいし、相手が大人数で話自体を期待しているときは結論を最後に持ってきて物語を盛り上げるような話し方が喜ばれる、など)

・自分が恥ずかしいと思っていたこと、失敗したな、と思っていたことでも話術があればこんなにも人を惹きつけるものになるのか(自分はぽんこつエピソードならたくさん持ってる。役に立つかも。活かせるかも…!!!)

・プロのお笑いの人たちにはなれないかもしれないけど少し真似することくらいはできるかも・・・

というものでした。

早速、ネタ帳(笑)のようなものを作りはじめ、
自分の身に起きたエピソードをまとめ、無駄な話は省いて
どういう順番で話をするのが一番面白いかなどを考察する日々が始まりました。

少しずつ、少しずつですが
話してみるとちょっと面白いけど、調子に乗るとやっぱうざいやつ、ずっといたくはない
くらいの立ち位置になっていたような気がします。

その他

過集中の感覚
冒頭の基礎情報の通り、中学の頃は卓球部に入部しました。
手首が他の人より強かったらしく、
1年生の後半にはレギュラーの中にポチポチ入れることも多くなりました。
卓球部で培ったものは集中の感覚。
卓球は個人競技でもありますし、野球やサッカーなどの役割分担がたくさんある集団スポーツと違い、コートも小さいです。
もちろん動体視力は必要ですが、マルチタスク満載の集団スポーツではないのは今考えると競技として私には向いていたのではないかと思います。
→集中する感覚というものを掴んだことがなかった私ですが状況を整えれば自分も集中することができるんだ、と感じることができました。

過眠
部活をはじめ、塾にも通い、まだ続けている習い事などもあったことや、
前述の人間関係の複雑さなどもあり、この頃から時間さえあれば寝てしまう、ということがかなり増えました。母に先日学生時代の自分はどうだった?と聞いてみたら
「とにかく寝てた!重要な場面で寝てるから!全く!私は何も教えられなかった!」
となぜか怒られました(マジでなぜw)
→いまにも繋がる気づきではありますがとにかく疲れ、というものに対して対応するのが大変だったんだと思います。身体疲労ももちろんあるんですが考え事をしてるだけでも疲れる、ということが当時なかなか分からなかったため「なんでこんなに眠いんだ、疲れるんだ、だるいんだ、長い距離も歩けないし・・・」とは漠然と思っていました。

あれ!そんなこんなんで結構書きましたね。ちょっと中学生もそこそこ長く書いてしまったので高校生は別記事で行きましょう。笑

し、下書きはできてるのでもももも、もうすぐさハハハ🕺🤍

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