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【長編小説】ノアと冬が来ない町 エピローグ


 光と見まがうくらいの強烈な炎が真正面からキメラを襲う。焼け焦げた肉や骨の欠片すら落ちず、文字通り焼き尽くしてしまった。一方でヒョウガが立てた氷は残っている。これはヒョウガの氷が丈夫というのもあるが、アカツキの魔力の加減が案外緻密であることも原因だ。だが、肝心なことはそこではない。
 精霊族にとって、自分が何を司り、何の加護を受けているかを相手にさらす行為は信頼のあかしだ。ヒョウガはそれを知っている。目をぱちぱちさせていると、アカツキはすっきりしたといわんばかりに伸びをした。
「これで、お前のこと燃やそうとしたのはチャラだな!」
 変な沈黙が降りる。冬の風の音がする。アカツキが同意を求めるようにしてこちらを向いたが、うーん、とヒョウガは首を傾げた。
「なんで首傾げるんだよ! おかしいだろ!」
 思わずツッコミを繰り出すアカツキに、ヒョウガは当たり前と言わんばかりに答えた。
「だって、精霊族がアマテラス人のこと信用しないのってわりと自然だし……。ていうかその方がいいし……」
「そっち!? そもそもそれ、どちらかっていうと俺のセリフじゃないか?」
 アカツキは訳が分からんといった様子でその場をウロウロし始めた。まっさらな雪にぽつぽつと足跡が乗った。
「ともかく、ともかくだ。俺は短絡的にお前を燃やそうとしたのを後悔したんだよ」
「……何で?」
「何で、って!」
 いよいよアカツキはその場に崩れ落ちてしまった。ヒョウガが心配そうに「大丈夫か?」と聞いてくるがそれどころではない。
「人を見た目で判断してすみませんでした」
「……? うん」
 ピンと来ていないヒョウガにアカツキは一気に脱力する。ヒョウガは状況がよく分かっておらず、少し慌てた。
 その様子を、シノはぼんやりと見つめていた。
「終わった、のね」
 自分の呟いた言葉の意味を、あまりうまく理解できない。終わった。なにもかも。アカツキを無事に救出できた。もう終わったのだ。実感がわかないが、あとは商業都市アルシュに戻るだけ……。
「……何か、あったの?」
 そこにノアとコガラシマルがやってくる。シノは答えなかった。ノアはヒョウガとアカツキの方を見たが、ヒョウガに上手く答える術はない。だから、というわけでもないが、コガラシマルが話題を変えた。
「キメラは全部消えた。魔力の反応もない」
「じゃあ、これで一段落ってことか」
 ヒョウガが上手く話題に乗る。コガラシマルは笑顔で首を縦に振った。
「うむ。冬も正常に戻った」
 ほっと息をついたヒョウガは、しかし不自然に固まる。そわそわとあたりを見渡し、そして恐る恐る口を開いた。
「……あの魔術師、捕まえなくていいのか?」
 全員が顔を見合わせる。
 確かに諸悪の根源をしょっ引く必要があるのは事実。しかしあの状況下で副町長を捕えられる余裕があったかと言われると相当疑問だ。ノアは小さく呻いた。そこまで頭が回らなかった。
 が、
「それには及ばないぜ!」
 にっこにこ笑顔のラスターが何かの塊を蹴ってよこした。見事なぐるぐる巻きの簀巻きにされた副町長が気を失っている。コガラシマルはすべてを察した。ラスターの言っていた「用事」とはこれだったのだ。
「証拠品も全部抑えてある。そのうち管轄の、なんだろうな? ともかく何かしら来るだろ。そいつに全部引き渡す」
 おおー、と感嘆するヒョウガの傍で、コガラシマルは頭を抱えた。同時にノアを尊敬した。こんな調子の輩と常日頃から行動を共にしている彼の精神力を讃えた。
 ノアはロープをよく見た。魔力の流れを阻害する何かが編みこまれている。これに捕まれば魔術師はひとたまりもないだろう。……なお、副町長の手の爪が数枚はがれていることには気づかないふりをした。
「あとは町をちょっと回って、住民の無事を確認しようか」
 ノアはそう言って息をついた。実質夜を徹したのだ。少し眠りたかった。シノは副町長に幻術をかけて、追加の聴取を始めている。副町長がうなされていた。少し可哀想だな、とも思った。


 結論から言うと、ナボッケの町は無事だった。
 突如訪れた強烈な冬についても町の人々は妙に冷静で、最悪町長の家に避難すれば大丈夫だろうといった様子だった。家の造りが頑丈だったのが幸いしたらしい。ニセモノの夏に甘えた畑はダメになったが、もうじき春がくるのならなんとかなるという認識が強い。割と楽観的な人々だった。
 町での出来事はラスターが事実に基づき都合の悪い部分を捏造。町長を殺したのは副町長になっていた。実際、私兵たちがやらかしていたことを考えれば間接的に副町長が殺したと同義になる。町は町長と副町長を失ったものの、近いうちに新たな町長を決めるらしい。
「私はあのクソ暑い天気に参っていたので、元通りになって嬉しいですよ」
 町民の一人がそんなことを言って、皆を笑わせた。
「あの魔力、魔力ナシアンヒュームには影響がないって話だったけど、案外そうでもなかったんだろうな。だから攻撃的になったんだ」
 ラスターはそう言って伸びをした。ふと、ノアの口から疑問がついて出た。
「ラスターは平気だったの?」
「俺? 俺は常に冷静沈着だし?」
 ノアは無視した。無視して話題を変えた。
「さて、この後はどうしようか」
「霊山のアレ、供養してやった方がよくないか?」
 ラスターはそう言って、ノアの頭から帽子を取った。もう必要ないらしい。
「住民は気づいていないのか?」
 ヒョウガが首をかしげる。ノアは「多分気づいてない」と言った。
「町の人々は、あの熱が精霊由来であることなんて知らないだろうね」
「そうだな。下手に死体を見せて町長や副町長の株をガツンと落としたら大変だ。ただでさえ反魔術師が優勢なのに、余計魔術師嫌いになっちまう」
「でも霊山でしょ? 正式に入れるの?」
「まぁ、そこは俺にまかせてよ」
 ラスターが不安にならないようにとウインクをするが、ノアの背筋に冷たい何かが通り過ぎていっただけだった。
 とはいえ、ひとまず今後の方針は決まった。今日は休んで、といいたいところだがナボッケ霊山の惨状はできるだけ人目につかないようにしたい。さっさと作業をしてさっさと帰る。この動きが最善手だろう。
「全部終わったらアルシュに帰ろうか。今回はギルド経由の依頼じゃないから報告書がいらないね」
「報酬の支払いはアルシュに戻ってからでいいかしら?」
 シノが声をかけてきた。副町長は泡を吹いている。相当恐ろしい夢を見ているらしい。
「勿論。アルシュに戻るまでが依頼だからね」
 シノは笑った。柔らかい笑顔だった。後ろで副町長が泡を吹いていなければそれなりに映えていただろう。
「ヒョウガとコガラシマルはどうするんだ? ついこの間アルシュ出たばっかりだけど」
 ラスターの問いかけに、二人はあっさりと答えた。
「オレたちも行くよ」
「精霊自治区侵攻の後の話をアカツキ殿にしてほしいとシノ殿に頼まれたのでな」
 ラスターがひゅう、と口笛を吹いた。
「おっ、じゃあ今日は飲み会だな。ラスターちゃん秘蔵のワインが火を噴くぞー」
「まことか!」
 露骨にうっきうきになるコガラシマルに対し、ノアは「秘蔵のワイン」の部分に引っ掛かっていた。いったいいつの間に……と思っていると、ヒョウガが「飲みすぎるなよ飲みすぎるなよ飲みすぎるなよ……」と釘を十本ぐらい刺している。
「アカツキくん」
 酒談議をおっぱじめた呑兵衛二人を放置して、ノアはアカツキに声をかける。アカツキはぼーっと東の空を見つめていた。
「何だ?」
「これから、どうする予定?」
「ひとまず精霊族の現状を知ってから、場合によっては島に戻るぜ。……ねーちゃんには言えないけど」
「そうか……それまではアルシュに滞在するってことでいいのかな?」
 アカツキはこくりと頷いた。
「滞在場所はある?」
「ねーちゃんの家があるから大丈夫」
「それなら安心だね」
 他に片付けなければならない課題はあっただろうか、とノアが思考を巡らせたとき、アカツキが口を開いた。
「……一つ、いいか」
「うん?」
「その、アカツキ『くん』っていうのやめてくれないか?」
 ノアは少し固まった。そういえばいつのまにか「くん」をつけてしまっていたような気がする。
「俺、子供じゃないし」
 ノアはきょとんとした。感覚としては弟と接しているときのそれに近いが、本人が嫌がっているのなら呼び名を変えるべきだろう。
「分かった。……よろしくね、アカツキ」
「おう!」
 アカツキは人懐っこい笑顔を見せた。その矢先、
「アッカツキくーん! あんたも今夜酒飲むかー!?」
 呑兵衛一号の声が響く。すかさずシノの答えがすっ飛んでくる。
「日が沈むと眠っちゃうんだってば!」
 それを完全無視したラスターは、なれなれしくアカツキの肩に手を回す。
「日のあるうちに飲めばいいじゃないか、なぁ? ノアもどう?」
「全部終わったら、ね」
「よし、じゃあ早速仕事だ! キビキビ行こうぜ!」
 ラスターはそう言って、ナボッケの町へと駆けていった。入山許可を得るために行ったらしい。どんどん遠のいていくラスターの背中を見つめながら、アカツキはぽつりと呟いた。
「なんかあいつさぁ、すっごくグイグイ来るよなぁ」
「何かされた?」
 ノアは反射のような速度で反応してしまったが、アカツキはそこには驚かなかった。
「別に、何かされたってワケじゃないけど……変な気分」
「変?」
「人間にも色々居るんだなって話」
「そうだね」
 否定しないのか、とアカツキは思った。ノアが遠くを見つめていたのが気になった。こんなに人の善性を信じて居そうなヤツなのに。
 遠くから誰かが手を振っている。先ほど走っていったラスターが戻ってきて、デカいマルを作っている。入山許可が出たらしい。
「それじゃあ、片付けしに行こうか。……人数が多くても大変だから、アカツキとシノは待っててくれる?」
「そうか? 人数多い方がいいんじゃないか?」
「多ければいいってものでもないから」
 ノアは曖昧に笑った。アカツキが食いつこうとしたタイミングでシノが服の裾を引っ張ってくる。大人しくしていろという圧力だ。アカツキは素直に従うことにした。
 もう一度、アカツキは空を見た。精霊自治区の空とは違う朝が、徐々に昼の様相を見せている。妙な不安が空の奥で燻っている。それと同時に希望もあった。
「ねーちゃん」
「なぁに」
「あの人たちのこと、教えてくれよ」
 シノは瞬きをした。それは本人たちに聞いた方がよいのでは、という正論を投げる余裕すらなかった。そんな姉の心情などつゆ知らず、アカツキは頭を掻きむしりながら、続けざまに質問を投げた。
「あと、何でシノって呼ばれてるんだ? シノノメじゃなくて」
「それもねぇ、話すととっても長くなるのよねぇ。ホント大変だったんだから。あんたは知らないだろうけどね」
 シノはそう言って、アカツキの手に何かを押しつけた。愛用していた数珠の首飾りだ。火の魔力が僅かに感じられるそれを、アカツキはまじまじと見つめて、それから姉の顔を見た。姉は笑っていた。今にも泣き出しそうな顔の彼女の目の前で、その首飾りをつける。懐かしい重みと魔力の温もりが首にゆったりよりかかる。
 姉の笑みが深まった。
「おかえりなさい」
 声は、震えていた。
「……ただいま」
 ちくり、と心の奥が痛んだ。ここに残るにせよ、島に戻るにせよ、大変なのはきっとこれからだ。
 それでも今は、春の間際でゆっくりと休んでいたい。


ノアと冬が来ない町 完


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)