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【短編小説】新人教育の依頼 #5

こちらの続きです


 酒場・髑髏の円舞ワルツ――。
「生きてりゃなんとかなるなんて独りよがりの考えだったかもなぁ。こーなるなんて思ってなかった」
 空席に向かって延々と語りかけているラスターを見て、コバルトはなんと声をかければいいのか迷った。マスターの方をチラリとみると「なんとかしてくれ」という視線が送られてきた。コバルトは一旦マスターの方に向かい、「これからラスターの注文は全部ノンアルにしてくれ」と指示をし、ラスターの席の向かいに座ろうとして、もう一度マスターの方に向かって「あとチーズ盛り合わせひとつ」と嫌々注文を足した。
 他人が向かいに座ったというのに何の反応も示さず、突っ伏してくだを巻いているラスターの前で、コバルトはテーブルを見た。ウイスキーの瓶が二本も空いている。マスターに視線をやると「そいつが全部飲みました」――コバルトは、まだ中身の残っている三本目の瓶を回収した。
「いや、思ってなかったなんて嘘だ。どこかで分かりきってたことじゃないか、なぁ……どうして俺はノアにも言えなかったんだ、ノアに言っていたら……」
「まぁ、無理だね」
 コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
 ラスターが顔を上げる。顔が真っ赤になっていた。彼は酒が入るとすぐに顔が紅潮する体質だ。が、酒には強い。そうでなければウイスキーの瓶を二本も空にしない。
「何が無理って」
「ギルド側が新ヒュラス教の奴が聖女の洗礼中ってことを把握してなかった。仮にノアがお前さんのことをアンヒュームだと把握していたところで、ギルド側が両方把握してなかったら回避できなかった事故だろう」
「どっちかって何がらよ」
 大量のアルコール摂取で呂律も文もおかしくなっているラスターだが、コバルトはそれを茶化すようなことはしなかった。
「お前さんがアンヒュームってこと、あの新ヒュラス教信者が聖女の洗礼中ってこと。両方知らなきゃ無理だろ。ただでさえヒュラス教は新旧だけじゃなく宗派が細かく割れてるんだ、アンヒュームとかかわらなければいいってヤツもいれば、同じ空気を吸いたくないってヤツもいるってことさ」
 コバルトは喉をグウグウ鳴らした。愉快そうな音だった。しかしラスターは机に伏せたまま体をくねらせた。子供が駄々をこねるときの動きに似ている。
「そんなことないだろ、だってノアが知ってたら多分やんわりーっと拒否あれしてただろうし、俺だってもっと上手い動き方とか出来たはずなんだよ」
 時折指示語が挟まるのは骨が折れるな、とコバルトは思った。マスターがチーズの盛り合わせを持ってきた。コバルトは適当なやつをちぎって口にした。致命的に不味い。頼まなければよかった、と思った。
「……ノアはどうした?」
「わからない」
 コバルトは囓りかけのチーズをテーブルに落とした。
「分からない、ってことはないだろ」
「なんにもわからない」
 流石のコバルトも苛ついた。
 ――こいつ、まさか自分の大事な相棒を置き去りにして酒をかっくらってるのではあるまいな?
 アンヒュームであることがバレて真っ先にやることが、酒場でヤケ酒。
「今頃ギルドのやつから酷く説教されてるのかな……。どうせなら、先に解散の話をすべきだった……」
 マスターが顔をこちらに向けてきたのが分かっても、コバルトは我慢ならなかった。
「しっかりしろ、ラスター!」
 ウイスキーの瓶を思いっきりテーブルに叩きつけ、コバルトが怒鳴る。店内が嫌な沈黙に包まれる中、店主の趣味のレコードだけが「ラクロパ・ジョーリアのアリア」をザラザラと流していた。死んだ魚の目の店主がどこかに連絡を取る動きをした。
「ここでヤケ酒をして何になる。今すべきことから目を逸らすな、マヌケ!」
「何になるって?」
 ラスターが体を起こした。顔が異常に赤かった。
「なんにもならねぇよ。なんもできないからこうなってるんだろ」
「へぇ、こりゃ相当重症だな」
 ソプラノ歌手の悲鳴のような歌が流れる中、コバルトはラスターの胸倉をつかんだ。不味いチーズがテーブルに散らばる。給仕が小さな悲鳴を上げた。
「同じことを繰り返す気か?」
「何だと?」
 ラスターの顔がアルコールとは別の意味で赤くなった。コバルトは鼻を鳴らした。
また・・俺に右腕をへし折られたいか? お望みならやってやるさ。今回は死体を見ずには済みそうなのが救いと言えるだろうけどね」
「……そりゃあんたは見ないだろうよ」
「ほう?」
 ラスターが短剣を引き抜き、コバルトの首を刎ねようとする。コバルトは間一髪、愛銃でその斬撃を受け止めた。幸か不幸か、こういった酔っぱらいの争いはよくある話なので、客も店主も慣れたものだ。ただ、給仕は最近やってきたばかりの新人らしく、冷静な店と過熱する争いの合間でおろおろしていたが。
「殺意を悟られる暗殺者は三流だぞ、ラスター!」
 空いている方の手でもう一丁の拳銃を取り出そうとするコバルトを、ラスターの投げナイフが牽制する。酔いが回っているせいなのか精度はひどいものだった。いつものラスターならコバルトの手のど真ん中にナイフを的中させていただろう。ボックス席の中でめちゃくちゃな争いをする二人は、近づいてくる影に気が付かなかった。
 それは手に持っていた金属バケツで、二人に思いっきり水をぶちまけた。
「このバカたれどもが!」
 そして、続けて空のバケツで二人の頭を思いっきり殴った。
「店の迷惑になる飲み方をするなとさんざん言われてるだろうが、このバカ! ポンコツ! 偏屈! 分からずや! 女好き! 偏屈! 足が臭い!」
 金属バケツをラスターの頭めがけて投げつけたアングイスは、手に持っていた杖でコバルトをぽこぽこ殴った。
「分かった、分かったアングイス! 杖で叩くな!」
「ほんとに?」
「ああ、分かったよ。ま、まぁ、喧嘩を売ってきたのはあっちだが――……」
 アングイスが杖を構える。コバルトは急いで彼女から顔を背けて反抗の意思がないことを表明する。そして、他人の視線を避けてマウンテンハットを脱いだ。雑巾のようにして帽子の水を絞ると結構な量の水が床にこぼれた。
 ラスターは動かない。呼吸はあるので死んではいないが、どうやら金属バケツの当たった位置がかったらしい。
「ちょっとコブができているな」
 ラスターの頭を見て、何事もない風にして言い放ったアングイスは、店主に銀貨の入った袋を二つ渡した。
「迷惑料だけど、足りるか?」
「おつりがくる」
「気持ちだから受けとってくれ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 店主はちょっと嬉しそうだった。先日壊れたソファーを買い替えることができるな、などということを考えていた。
 アングイスは魔術を使い、気絶したラスターと「俺は歩けるんだがね」と文句を垂れるコバルトを引きずって店を出た。
「いいニュースがあるぞ」
 アングイスはものすごく古いアパートの中に入り、きしむ階段を上ろうとする。が、引きずったままでは階段を登れない。むむむ……と難しい顔をした彼女があれこれ考える間に、解放されたコバルトがラスターを担いでいた。
「やっぱりコバルトはすごいな!」
 ウッキウキのアングイスに、コバルトは苦い顔を浮かべる。
「まぁ、これも呪いのせいなんだがね。それでどこの部屋だ?」
「すぐそこだ!」
 ぱたぱたと廊下を駆けたアングイスは、目当ての部屋の前でふんぞり返る。そうしてからカギを開けて、中に入るよう促した。どうやらここはアングイスの住まいらしい。医療器具が散らばっており、時折シリンジが転がっているのを見ると「重篤な薬物中毒者の住まい」だと言われても納得しかけてしまう不気味さがある。アングイスはキッチンの方へ向かってしまった。案内がなんとも半端である。
 コバルトは奥の部屋を目指した。そこにベッドか何かがあるのだろうと踏んだ。が、コバルトの警戒指数は一気に跳ね上がることになる。
 僅かに明かりが漏れていて、人影がある。コバルトはラスターを床に降ろした。拳銃を抜き、構えて、ゆっくりと歩を進める。
「俺だよ」
 数歩近づいた時、影が言葉を発した。コバルトは脱力した。
「もっと早く教えてくれ」
「ごめんごめん、アングイスが説明しているものだと思って」
 部屋から姿を現したのは、ノアだった。
 ラスターはそれを、床に寝ころびながら他人事のようにして眺めていた。


To be continued



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)